2017年 8月 9日 VOL.082

フィルムセンター 岡島尚志氏に聞く

― ナイトレート・ピクチャー・ショー

前号に引き続き、「第三回ナイトレート・ピクチャー・ショー」を取り上げます。
第三回では、東京国立近代美術館フィルムセンター参事の岡島尚志氏が『My Life with Nitrate』と題した基調講演をされただけではなく、上映リストにはフィルムセンター提供の『麦秋』(1951年、小津安二郎監督作品)がありました。参加された背景、ナイトレート・フィルムについて岡島氏にお話を伺いました。

PROFILE  

岡島 尚志
おかじま ひさし
東京国立近代美術館フィルムセンター参事(前主幹)。フィルムアーキビスト/キュレーター。国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)の第12代会長(2009~2012)を務めた。専門は映画史、フィルムアーカイブ論、映画評論。2016年に、無声映画の発掘や評価に際立った貢献を果たした個人・団体に授与されるジャン・ミトリ賞を受賞。

このユニークな映画祭の生い立ちと初参加されたいきさつについてお聞かせください。

岡島氏: 少しさかのぼってお話ししますと、1950年にコダックがナイトレート・フィルムの製造中止の計画をアナウンスした中で「ナイトレート・フィルムはあと50年しか保証できない」という内容の発表をしています。それを受けて世界中のフィルムアーカイブが、ナイトレート・フィルムの映像情報をセイフティ・フィルム上に移し替える事業を行ったわけですが、その年限に達した2000年にロンドンで国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)の会議が開かれた際に、「ザ・ラスト・ナイトレート・ピクチャー・ショー」と銘打った上映会が催されました。結果的に、世界中から集められた良質なナイトレートのプリントの一部は上映が可能で、しかもものすごく綺麗だったのです。

東京国立近代美術館フィルムセンター参事

岡島尚志氏

そこで大事に保存すればナイトレート・フィルムは50年以上もつということがみんなの共通理解として実地に確認されたわけです。つまり、ザ・ラストというにはまだ早い。そう思った人はたくさんいたのですが、そうしたフィルムはやはりあくまで保存用であって公開上映には使えない、というのがフィルムアーカイブの世界の基本方針であることに変わりはありませんでした。その後、いざナイトレートのプリントを上映するとなるとあまりにも多くの問題があって、だれも踏み込まなかったのです。そんな中で、ジョージ・イーストマン博物館(George Eastman Museum。以下、GEM)の映像部門ディレクターであるパオロ・ケルキ・ウザイが、例外的に、さまざまな困難を一つずつ解決し態勢を整えて、大規模なものとしては世界で唯一の上映機会として、三年前から「ナイトレート・ピクチャー・ショー」という映画祭を始めたというのが大まかな流れです。もちろん上映の前提条件の一つとして、セイフティ・フィルムによるバックアップコピーを必ず作成する、また、そうした素材があることを確認するということを怠ってはならないのは言うまでもありません。

もともとGEMと私たちフィルムセンターとは長年にわたって良好な関係にあり、さまざまな交流を行ってきています。特にパオロと私はフィルムアーカイブをめぐって様々な面で近い考えを持っていて、オリジナルの大切さ、それも素材や機械のオリジナル性を重視する事はもちろん、映画体験のオリジナル性を大切にしようということで一致しており、これまでも一緒にFIAFの文書を作ったり、活動したりしてきました。そのような関係から、実は第一回の時から声がかかっていました。第二回に今回の『麦秋』(1951年、小津安二郎監督作品)のナイトレート・プリントを出そうとしたのですが、輸送上のこととか両者でたくさんの問題が起きて断念、ようやく第三回で色んな書類手続きを経て、ぎりぎり指定の冬の時期にロチェスターまでプリントを送ることができました。​

ナイトレート・ピクチャー・ショーの会場となったジョージ・イーストマン博物館

『麦秋』のナイトレート・プリントを初めて映写でご覧になったと伺いましたが、いかがでしたか?

岡島氏: 私にはラボのタイマーのような科学的な眼をもった判定はできませんが、やはりそこにはオリジナルにしかない画の力というか迫力がありました。今回世界中から集められ上映されたさまざまなプリントは一様ではありませんでした。ネガからダイレクトにプリントされたものもあれば、デュープを経たプリントもありましたし、製作当時のコダックの一番良いフィルムを使って、隅々までピントが合い、照明もきちんと当たっていて黒から白まで階調が非常にたくさんあるプリントもあれば、そうでないものもありました。しかし、一様でなくともそれらのプリントを見ている最中は、本来映画フィルムというのはこういうものだったのだという大きな感動があるのです。『麦秋』の当時、まだ枠現像であったと思いますが、プリントには上映やそれ以外によるものと思われる傷があります。現在はデジタル復元でこうした傷を綺麗に消すこともできますが、フィルム上に残された傷も含めて、小津や撮影の厚田雄春がOKを出した元のプリントが歴史を担って今日まで伝えられてきた点が重要なのです。そこには素晴らしい元の映画を見ているという感動がありました。パオロは「私はこのプリントが上映できた今日という日を生涯忘れない」と言い、フィンランドのキュレーターは、「まるで水彩画のようだ」と感極まっていました。


今後もナイトレート・ピクチャー・ショーには協力するつもりでいますが、実のところ、日本は大半のナイトレート・フィルムを失っており、『麦秋』以外に決して多くの選択肢があるわけではありません。忘れてならないのは歴史、そして時代です。歴史上、皮肉なことに戦後の食糧も乏しい一番たいへんな時代に日本映画は良い時期を迎えていたのです。フィルムの保存どころではない時代でしたし、保存の意識も決して高くなかった。先のコダックの発表が日本にどう伝わったか定かではありませんが、危険ということで不燃化されずに捨てられたナイトレートや不燃化作業の後に捨てられたナイトレートもあったと思われます。そういう中で残ってきたナイトレートのオリジナル・プリントは、それ自体で奇跡的なものだと思います。


フィルムセンターは1970年5月に開館したのですが、それ以前に失われてしまったフィルムについてはいかんともしがたいという思いがあります。また、ナショナル・フィルムアーカイブとしての方法論を身につけて、体裁が整ったのは1990年くらいになってからだと思います。非常に遅かったのです。

ナイトレート・ピクチャー・ショーでは参加者が実際にナイトレート・フィルムに触れる機会が提供された

『My Life with Nitrate』ではどのようなお話をされたのでしょうか?

岡島氏: 私がナイトレート・フィルムの美しさに出会い、同時にその保存の困難さを身にしみて感じ、ナイトレートに対する世の中の誤解をなくすために、オリジナルを大事にしようと言い続け、最終的にフィルムセンター相模原分館の映画保存棟III(2014年3月に竣工したナイトレート・フィルム専用の保存庫)の完成に行きつくまでの年月をまとめた講演をさせていただきました。

 

1984年のフィルムセンター火災、その直後にニューヨークの近代美術館で見せてもらったグレタ・ガルボの『ニノチカ』(1939年)のナイトレート・プリントのあまりの美しさ、そのあと英国映画協会(BFI)を訪問してナイトレート・フィルムを含めてなんとフィルムを大切にしているのだろうということに驚いたというようなエピソードも交えています。1984年のそこからフィルム保存について方法論を含めて欧米の人たちと話をすり合わせながら、1986年に保存棟I、震災の年の2011年に保存棟II、そしてIIIへと至りました。その一方で、映画を重要文化財として認めてもらうという働きかけを行っていました。コンテンツの歴史的な重要さはもちろんですが、情報キャリアである映画フィルムがオリジナルのまま残っているという貴重さ、この二種類の合わさった重要さが、文化審議会での審議を通じて認められ、日本国で初めて映画の重要文化財指定が可能となったわけです。最初に『紅葉狩』(2009年指定)、次に『史劇 楠公訣別』(2010年指定)、そして『小林富次郎葬儀』(2011年指定)と、ナイトレート・フィルムが重要文化財に連続して指定されたわけです。これら重要文化財を収蔵する保存棟IIIは、決して大きなものではありませんが、世界中探してもこれほど完璧なナイトレート・フィルムの保存庫はないと誇れるほどのものです。

東京国立近代美術館フィルムセンター相模原分館 映画保存棟IIIに収蔵されているナイトレート・フィルム

映画の情報キャリアが残っているというのは素晴らしいことですし、オリジナルに近い状態で見るというのは非常に貴重な映画体験ですね。

岡島氏: フィルムセンターでは昨年度、長編短編合わせて新旧150本もの映画のニュー・プリントを作りました。用いるのはフィルムの製造元が推奨する高価な保存用のフィルムではないのですが、このデジタルの時代に一流のタイマーが再タイミングをし、時に応じて監修者やアーキビストが立ち会って最良の35mmビューイング・コピーを継続的に作成しているという事実が、日本の映画保存にとっていかに大きなことであるかを理解していただきたいと思います。これらのニュー・プリントは順次、京橋のフィルムセンターで上映されていますが、同時に最良の保存用プリントという意味も担い続けます。


また、センターでは、今年の10月末から11月の初めにかけて、GEMが誇る映画コレクションから、きわめて重要な作品で、なおかつ最上のセイフティ・プリントを厳選して上映する企画が開催されます。東京国際映画祭との恒例共催企画で、「ジョージ・イーストマン博物館 映画コレクション」と銘打っており、エリッヒ・フォン・シュトロハイムの『クイーン・ケリー』(1929年)なども上映の予定です。是非皆様にオリジナルの映画フィルムにもっとも近いプリントの美しさを見ていただきたいと思っております。

フィルムセンター・ホームページ:http://www.momat.go.jp/fc/

映画『クイーン・ケリー』の1シーン  Photo courtesy: George Eastman Museum

日本でも35mmの映写機を戻した劇場が出てきたと聞きますし、35mmプリントでの上映企画も聞きます。ちょうど海外ではクリストファー・ノーラン監督の最新作『ダンケルク』が史上最大規模の70mmプリントで公開されて話題となっています。

岡島氏: 4月末に、ロサンゼルスで『ダンケルク』の70mmフィルム版の予告編を見る機会があったのですが、本当に圧倒されました。そうした最近のフィルム再評価の傾向も含めて、今回の「ナイトレート・ピクチャー・ショー」の初日に、会場であるGEMのドライデン・シアターへいらっしゃった御社のCEO ジェフ クラーク氏が、お話の中で、「アナログ・ルネッサンス(アナログの復興)」という言葉を使っておられたことが、とても印象的でした。本当に好いキーワードですね。

(インタビュー:2017年7月5日、東京・京橋 フィルムセンターにて)

今回、東京国立近代美術館フィルムセンター刊行の『NFCニューズレター』第132号に掲載された岡島氏の報告を弊社メールマガジンへ転載する許可を頂戴しました。映画祭当日の臨場感あふれる模様をご一読ください。

「第3回ナイトレート・ピクチャー・ショー」報告

ナイトレート・フィルムを上映するというフィルムアーカイブの禁じ手、あるいは、世界でもっとも特殊で高度に文化的な映画上映の試み
 

岡島尚志

5月5日から7日にかけての三日間、米東海岸を代表する老舗の映画保存機関ジョージ・イーストマン・ミュージアム(GEM)で、第3回ナイトレート・ピクチャー・ショー(NPS)という小さな映画祭が開催された。フィルムセンターは出品要請と講演依頼を受け、筆者がこれに参加した。以下はその報告である。

直前に第73回FIAF会議が行われたロサンゼルスの昼中の気温は30℃近く、GEMのあるニューヨーク州ロチェスターのそれは10℃以下で、両者続けての参加はまさに夏から冬へ逆戻りといった感さえあるが、後者の“安定した”低温環境こそは、今日ではほぼ上映する事がない、あるいは実質上映写を禁止されているナイトレート・フィルム――この場合はニトロセルロース(硝酸繊維素)製支持体から成る可燃性の35mmオリジナルフィルムプリント――を、上映するために欠かせない要素の一つでもある。

第3回ナイトレート・ピクチャー・ショーの概要

今回三回目となるNPSの全10番組で初日夜のオープニング・ガラを飾ったのは、日本からの初参加ともなった『麦秋』(1951年、124分)であった。映写は最後まで安全に行われ、観客のすべてが「水彩画のように美しいプリント」(フィンランド国立視聴覚協会アンティ・アラネンの言葉)に出会い、戦後6年目の占領下に作られた小津芸術の偉大さに圧倒されていた。他に――上映順で長篇のみ記せば――ケーリー・グラント主演の喜劇『独身者と女学生』(1947年)、ジーン・ケリーがジェリー・マウスと“共演”することでも知られる『錨を上げて』(1945年)、クロード・レインズ、ネルソン・エディらが出演するミュージカル仕立ての『オペラの怪人』(1943年)、エイゼンシュテインの『アレクサンドル・ネフスキー』(1938年)、ジュールス・ダッシン監督、リチャード・ウィドマーク主演の『街の野獣』(1950年)、ヒッチコックの『白い恐怖』(1945年)などが連続上映された(上映番組の詳細はURL参照 https://eastman.org/nitrate-picture-show)。


主催者GEMの映像部長パオロ・ケルキ・ウザイ(脚注) 、映画祭責任者のジャレッド・ケースは共々に、このイベントが、上映と関連教育プログラムを併せて、一年がかりの準備を要するものであることを強調していたが、実際に彼らの仕事ぶりは驚くべきものであった。これは、いかなる意味でも通常の上映会などでは決してなく、各国アーカイブが宝物のように守ってきた“ユニーク・プリント”に擦傷・破損・切断といったダメージを与えないと同時に、映写スタッフと観客の安全を完全に保障するため、前もって可燃物たるナイトレート・フィルムの安全輸送に万全を期し(国ごとに異なる関連法規の調査・遵守や輸送業者との綿密な交渉・調整を含む)、上映の何か月も前に当該フィルムを冬のロチェスターに運び、専門技術者がフィルムの縮率測定(1%以上縮んだプリントは原則的に上映しない)や齣単位の検査を行うといった徹底ぶりに加え、防火シャッター付き専用映写機の保守整備、映写技師の複数配備なども完全に実現した上でのきわめて例外的な上映事業なのである。それでも、フィルムの走行ノイズに違和感が生じただけで、(今回の場合は、全番組で上映が滞りなく行われたとはいえ)勇気を持って映写中止の判断がなされることもあるとされており、観客はそうした事態の可能性を理解し納得した上で、3日間の全上映および講演会等に参加できるチケットを前もって購入することになる。上映番組は、映画祭初日朝の記者会見時に初めて発表され、また、発表された映画が主催者の判断で上映中止になっても払い戻しは行われない。


現存する最良のナイトレート・プリントが、必ずしも原産国のアーカイブから提供されるとは限らないのも、NPSの特長の一つである。例えば、オーストリアからやってきた『アレクサンドル・ネフスキー』は、60年代にウィーンのソビエト大使館から当地の映画博物館に寄贈されて後、数えるほどしか上映されてこなかったビンテージ・プリントであるし、典型的なハリウッドミュージカル『錨を上げて』は、英国のBFIナショナル・アーカイブから運ばれたものである。


そうした中でとりわけ感動的だったのは『白い恐怖』であろうか。これは2000年のFIAFロンドン会議で「最後の(ザ・ラスト)ナイトレート・ピクチャー・ショー」と銘打って上映されたプリント群の一つであり、筆者としては、今回、映画後半の舞台にもなったロチェスターという特権的な場所で、17年ぶりに再見してその美しさにほぼ変化がないことを確認することになった。プリントはアメリカ国内・議会図書館からの出品で、上映前に挨拶したカルペパー・キャンパスのナイトレート・フィルム保存庫長ジョージ・ウィルマンは「今日の上映が実現できたのは、16mmに縮写して残せばよいという当時の議会図書館の決定に従わず、この35mmプリントを隠して保管した映画放送録音物部の担当者ポール・スピアさんのおかげです」と発言して観客を感動させた。


なお、記念講演会は、筆者の演題My Life With Nitrateとオーストリア映画博物館長アレックス・ホルヴァートの演題My Life Without Nitrateが、一対をなす形で行われた。


(フィルムセンター参事)

注)ポルデノーネ無声映画祭の創設者の一人で、セルズニック映画保存スクール(GEMの講座)を開講したことでも知られる。著書にBurning Passions: An Introduction to the Study of Silent Cinema (BFI, 1994) などがある。

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