2017年 8月 22日 VOL.084
ボントン・フィルム・ラボが長期保存メディアとしてのフィルムの可能性に挑戦
チェコ共和国の都市ズリーンにあるボントン・フィルム・ラボ
「フィルムに対する情熱がある人は大歓迎です」とチェコ共和国のボントン・フィルム・ラボのマネージング・ディレクターであるカテリーナ・モーバイ氏は言います。「私たちは創作活動におけるフィルムの唯一無二の美しさはもちろん、長期記録目的でのフィルムの真の価値を理解しています。私たちのスペシャリストが持つ技術・知識・情熱は、一流のクライアントから求められる質の高い要求に答える中で、数百万メーターのフィルムを現像し、何十年もかけて培われてきました。そして今、国際的に新たなクライアントの獲得を目指し、特にフィルム保存の専門技術での新規開拓に積極的に取り組んでいます」
ボントン・フィルム・ラボは16mmおよび35mm、カラーおよび白黒、ネガおよびポジ、さらには35mm音声をも含むフィルム現像の幅広いフロントエンドサービスを国内外の制作会社(第二次世界大戦を描いた映画『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(監督/撮影監督:ショーン・エリス)など)に提供してきました。また、プラハ芸術アカデミーの映像学部、ブラチスラバ(スロバキア)のVSMU、世界的に有名なポーランドのウッチ映画学校など、映画学校に通う学生に向けた支援活動でも成果をあげています。
フィルムは1フレームずつ手作業でチェックされる
一方で、企業としての業務はフィルムの復元・修復・保存に特化しています。長年にわたり、フレーム単位での綿密な映画フィルムの修復や修繕、保存サービスをチェコ国立フィルムアーカイブ、チェコ国防省、スロバキアの国立映画協会などに提供してきました。そしてアメリカ市場へも進出し、ハリウッドのアカデミー・フィルム・アーカイブとのプロジェクトに参加しています。
これらの業績に加えて、次世代の保存手法を示すべく、コダックならびにノルウェーのフィルム機器メーカー、PIQL(ピクル)と提携し、コダックの高解像度フィルムに記録されたデジタルデータを保護し、プラットフォームの移行に左右されずに長い将来にわたってデータへのアクセスと保管を可能にする新規事業に乗り出しました。
ボントン・フィルム・ラボのデジタルセンターにあるPIQLリーダー
「私たちは常に古いフィルムを扱っていますが、フィルムが画像を強固に記録していることにいつも驚かされます。フィルムは事実上不滅と言えます」とモーバイ氏は説明します。「デジタル化して保存された映画は適切に保存されているとは言えません。フィルムと違い、各種のテープやハードウェア、クラウド上に保管されたデータは、そのプラットフォームの移行に費用が掛かり、また、将来的にわたるデータへのアクセス、読み出しに確固たる保証がないのです。フィルムはアナログ画像およびデジタルデータを、最も効率の良い費用で長期保存できる実証されたメディアとして存続するでしょう。近年のフィルムは適切な環境では500年残存するのです」
ボントンの起源は1930年代にさかのぼります。プラハから250km東の活気ある産業都市、ズリーンにあるベータ社に、それほど多くはない人数のチェコの映画製作者たちが集められ、ハリウッドスタイルの映画製作スタジオを立ち上げました。自社内に設備の整ったフィルムラボを付属し、ベータ・スタジオは全盛を極めます。当初はドキュメンタリーや教育映画、広告を制作し、後にアニメーションや実写劇映画へ参入しました。
1960年代のズリーン・フィルム・ラボラトリーズ社
24時間作業しても追いつかないほど、ラボの仕事量は急こう配で増え続けたため、近くに新設した大きな施設へと移転し、独立した機関として業務を開始しました。対応できる業務量が増して、ラボはチェコ全土の映画製作市場へサービスを提供し始めます。やがて、プラハのバランドフ・フィルム・ラボラトリーから大量の配給プリントを委託され、事業はさらに拡大しました。
1960年代のズリーン・フィルム・ラボラトリーズ社
1989年以降、ベータ・スタジオは民営化され、その後1998年にボントン・エンタテインメント・グループの一部となった際に、新たな施設および技術投資と共に社名をボントン・フィルム・ラボへと変更します。
ところが、デジタル上映の出現はフィルムプリントのビジネスに打撃を与え、さらにはデジタル撮影の手法がラボのフロントエンド業務に脅威をもたらします。モーバイ氏は2006年にボントンの活動内容として、保存する映像素材の処理・復元・保存の専門技術に再び焦点を当てます。チェコ共和国と隣国の経験豊かなラボ技術者を積極的に集め、ヨーロッパで閉鎖する他のラボから懸命に機器を入手しました。
ボントン・フィルム・ラボのフィルム現像機
「この決断は弊社にとって大きなターニングポイントとなりました」とモーバイ氏は語ります。「周りの他のフィルムラボが困難に直面しているときに、私たちは、フォトケミカルの液浸の技術を用いた、あらゆる種類の古く傷ついたフィルムの修復ができる専門家のブティックのようなラボを作る決断をしたのです。今日まで持ち続けている人材・機材・取引契約のおかげで我々は業界で先手を打つことができ、フィルムへの信念と情熱と共に、今日までその地位にい続けています」
さらに、ボントンの所在地がズリーンであることは主に2つの点で好都合だったとモーバイ氏は言います。「地理的にポーランド、スロバキア、オーストリア、ハンガリー、そしてドイツに近い。新しい道路・路線・航路によってボントンは既存の顧客と築いたつながりを強化し、さらにこれらの地域で、新規顧客をしっかりと獲得し続けることができています。財務面では、諸経費を比較的低く抑えることができるため、そのおかげでとても良心的な価格を提供することが可能になり、“フィルムは高い”という見解に対抗することができます」
再度焦点を当てた事業をしっかりと運営しながら、モーバイ氏はフィルムおよびデジタルで制作された映画のマスターをフィルムに戻すという可能性に注目しています。ボントンは2014年にフィルムレコーダー、ARRILASERに投資しました。
ボントン・フィルム・ラボのARRILASER 2 フィルムレコーダー
「年齢を重ねた映画製作者(監督や撮影監督)は、彼らの作品の長期保存について懸念していることを私たちは知っていました」と彼女は言います。「私たちの新しいフィルム・アウト・サービスは、すぐさま彼らの心をつかみ、監督たちはフィルムへの回帰に乗り出しました。バイナリ世代の若い映画制作者を促すため、私たちは文化省、チェコ、ポーランド、イタリアの製作会社や映画撮影機関と協力してキャンペーンを行い、フィルムでの撮影および保存の多くの利点と比較しながら、デジタルの落とし穴を説明しています。フィルムカメラを手に取る人が増えるのは素晴らしいことなのです」
「フィルムはアーカイブに適していると証明されている唯一のメディアである」という強い信念をもつモーバイ氏は、ボントンとコダック、そしてデジタルフィルムレコーダー、Cinevatorの製造元であるPIQLが協力し、デジタルデータの長期保存のためのフィルム利用事業を進める上で重要な役割を担ってきました。PIQLの技術を用いて、データはバイナリと人間が読めるフォーマットに書き換えられ、オフラインで保存される前に、コダックの高解像度フィルムへと記録されます。フィルム上のデータはすべて検索可能であり、将来的にどのようにデータを復元するかという説明も、読み取り可能なテキストデータでフィルムに記載されています。
ボントン・フィルム・ラボの暗室に設置されているPIQLライター(右)
「保存メディアとしてフィルムを利用することで、デジタルデータの保存を再定義するというビジョンをコダック、PIQLと共有しています」とモーバイ氏は言います。「長期保存に真に対応できるデジタル技術の欠如は、世界規模での懸念事項です。磁気ストレージは短命であり、むしろバックアップ向きです。一方で、セキュリティー、プライバシー、そして維持コストの点でクラウドは長期保存目的に適していません。フィルムはこれまで何十年にもわたって保存メディアとして利用されており、PIQLの技術によって、貴重な資産を最も安全かつ将来に対応できる形で残せる新しい方法が可能となり、しかも説得力のある価格で提供できるのです」
PIQLの技術はコスト効率の良い、音声の保存方法としても証明されています。アカデミー賞受賞映画『イーダ』(監督:パヴェウ・パヴリコフスキ、撮影監督:ウカシュ・ジャル)のデジタル音声はボントンのPIQLを用いて保存されました。チェコ・ラジオ(国営ラジオ局)との協力のもと、1923年までさかのぼる巨大なアーカイブから2300時間以上にもおよぶオリジナル収録データを保存しました。
ウェットゲート・プリンター
ボントンの成功とともに、モーバイ氏は熱心にそのサービスを世界中に伝えようとしています。積極的なマーケティング活動の一部として、彼女と他のボントンの代表者は2017年5月にロサンゼルスで開かれるFIAF(国際フィルムアーカイブ連盟)の会議に出席する予定です。モーバイ氏は2018年にはプラハで開催予定の同会議において、ボントンが中心的な役割になりたいと思っています。
モーバイ氏は最後にこうまとめています。「フィルムは常に情熱とともにあります。映画製作者たちの夢を実現し、彼らのビジョンを保存するお手伝いをしています。ボントン以上にフィルムに情熱を注げる場所は、過去にも、現在にも、そして未来にも存在しないでしょう」
(2017年3月31日発信 Kodakウェブサイトより)