2018年 5月 11日 VOL.106
映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
35mm 2パーフォレーションが物語に魂を吹き込む
トリプルアクセルを成功させたシーンのトーニャ・ハーディング(マーゴット・ロビー) Courtesy of NEON and 30WEST
クレイグ・ギレスピー監督、スティーヴン・ロジャース脚本、撮影監督ニコラス・カラカトサニスが35mm、2パーフォレーションで撮影した『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、競技フィギュアスケーター、トーニャ・ハーディングと、1994年冬季オリンピックの選考会で起きた、ライバルであるナンシー・ケリガン襲撃事件とハーディングとの関わりを描いています。
本物の才能を持つハーディングは、オレゴン州ポートランド出身で、アメリカ人女性で初めてトリプルアクセルを試合で2度成功させ、異例の早さでアメリカのフィギュアスケートのトップランクに食い込んでいきました。しかし最も記憶されているのは、彼女が関与したとされている悪名高くお粗末な襲撃事件です。この事件では、彼女のライバルが伸縮式の警棒で膝蓋骨を殴打されました。
マーゴット・ロビーが短気なハーディング役で主演し、セバスチャン・スタンが暴力的で強情な彼女の元夫ジェフ・ギルーリーを、アリソン・ジャネイがチェーンスモーカーで口の悪い彼女の母親ラヴォナ・ゴールデンを演じました。ギレスピー監督いわく、映画は「皮肉はなく、意図的に矛盾をはらみ、完全に真実」であるハーディングとギルーリーのインタビューであり、俳優と観客の間にある第四の壁を打ち破りながら、現在に設定された疑似ドキュメンタリー風のインタビューと同時に起こった物語の実写を融合させています。結果的に悲喜劇となった本作は、ねたみや不当な苦しみ、階級間の軋轢という現実の物語へと観ている者を引き込むのです。
競技を見つめるジェフ・ギルーリー(セバスチャン・スタン) Courtesy of NEON and 30WEST
『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は肯定的な評価をたくさん得たうえ、2018年のアワードシーズンではアカデミー賞にロビー(主演女優賞)とジャネイ(助演女優賞)がノミネート、英国アカデミー賞でも5部門にノミネート、ゴールデン・グローブ賞ではジャネイが賞を獲得するなど、多くの賞賛を受けました。
ペットの鳥を肩に乗せているラヴォナ・ハーディング(アリソン・ジャネイ) Courtesy of NEON and 30WEST
主要な撮影は2017年7月中旬、アイススケートのシーンで撮影に使われたメイコンコロシアムや、ハーディングの地元のポートランド近郊を再現したロケ地がある、ジョージア州メイコンで開始されました。プロダクションは31日間の撮影を経て、2月下旬に撮影を終えました。
「フィギュアスケートの映画というアイデアにすぐには興味が起きず、しばらく脚本を読まずにいました」とカラカトサニスは述べています。「しかし読み終わると、それも一気に読んだのですが、長い間放っておいたことを申し訳なく思いました。実によくできており、非常に感動的で、どう撮影すべきかが私にははっきりしていました」
競技を見つめるコーチのダイアン・ローリンソン(ジュリアンヌ・ニコルソン) Courtesy of NEON and 30WEST
「私の意見では、ローファイの色味や粒子感、共同住宅がある当時のアメリカの小さな町、人為的な現在のインタビューと対比させつつ、作中での登場人物たちの感情とそれぞれに異なる見解をしっかりと含める必要があると感じました。こういった考えをクレイグに伝えると、彼も同じ構想を描いていることが分かり、私はその後すぐに本作の仕事を得ました」
カラカトサニスが撮影の着想のために他の映画を参考にすることはほとんどなく、実現可能な照明スタイルにヒントや手がかりをくれるスチル写真の方を好むそうです。この点で、人間主義で知性に訴えるような日常生活を捉えたジェフ・ウォールやマーティン・パーの写真作品に影響を受けていると彼は言います。第四の壁を破る演出で参考にした作品として、ギレスピーは、ウディ・アレンの『アニー・ホール』(1977、撮影監督ゴードン・ウィリス)などさまざまな作品を挙げました。
1994年のリレハンメル五輪でのトーニャ・ハーディング(マーゴット・ロビー) Courtesy of NEON and 30WEST
カラフルでごまかしのないルックを求め、カラカトサニスは本編の95パーセント以上となる再現シーンを1タイプのフィルムだけで撮影することに決めました。コダック VISION3 500T カラーネガティブ フィルム 5219を自身が所有するライカズルミックス・プライムレンズのセットと組み合わせ2パーフォレーションで撮影しました。フィルムの現像は、アトランタのクロフォード・メディア・サービスのラボ、現在のコダック・フィルム・ラボ・アトランタが行いました。インタビューのシーンはデジタルカメラを使い、4:3のアスペクト比で撮影されました。
カラカトサニスはこう述べています。「35mm 2パーフォレーションで撮影すると、2.40:1のワイドスクリーンのアスペクト比が得られるのですが、それが本作の時代設定にぴったりだと感じました。ビジュアルにおいてもインタビューとの視覚的なコントラストを生み出しました。500Tは本当に万能かつ繊細なフィルムで、フィルターと組み合わせれば、日中でも夜間でも、屋内でも屋外でも、幅広いシーンの撮影に使用できます。さらに、特に赤系やピンク系の色味をうまく表現できるので、私は本作を非常にカラフルなものにしたいと思いました。色をまったく柔らかくせずにね。ズミックスのレンズはとても自然で、きつい感じがなく、この作品で500Tを完ぺきに補完してくれました」
若い時代のトーニャ・ハーディング(マーゴット・ロビー)とジェフ・ギルーリー(セバスチャン・スタン) Courtesy of NEON and 30WEST
監督と撮影監督の趣向により、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は主に1台のカメラで撮影されましたが、カラカトサニスによると、現場には4台のカメラ(ARRICAM LT2台、ARRIFLEX 235と435)を常に準備していたそうです。「カメラを動かす時には、我々はある程度様々な、つまり、手持ちカメラ、ドリー、クレーン、ステディカムを現場に揃えていました。特に決まり事はありませんでした。アクションやシーンの進み方に応じて思いつきでもっと動いたり、その時の本能に従ってカメラを動かしたりしました」
アイススケートシーンの撮影は、ダンスの定番である速さのある短いターンを捉える必要があり、できるだけフレームいっぱいにキャラクター(特にトーニャ)の顔を映すのが必須であるため、非常に困難であることが分かった、とカラカトサニスは明かしました。この試みで彼をうまく助けてくれたのは、カメラオペレーターのダナ・モリスでした。「ダナが、自分はアイススケートが得意なので、そういったショットではステディカムを使うよりも、自分がARRIFLEX 235を肩に抱えて氷の上を滑り、手持ちカメラでアクションを追う方がいいと言ったのです。彼はすばらしい仕事をしてくれて、非常に滑らかな映像に仕上がりました」
仕事中のラヴォナ・ハーディング(アリソン・ジャネイ) Courtesy of NEON and 30WEST
キャストとクルーに目的意識を染み込ませ、規律を保つというフィルム製作の真価を、本作の撮影に35日しかかけていないことでカラカトサニスは証明しています。「鋭いリズム感覚をフィルムがもたらしてくれて、クレイグのエネルギーが伝染して、慌ただしいプロダクションでも全員が一丸となりました。私は知らなかったのですが、クレイグは個人的に撮影記録をとっており、撮影終了後に彼が教えてくれた時にとても驚きました。我々は平均20分で1つの新しいセッティングを作っていたのです。それも、フィルムの美点の1つです」
『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』を撮影してから、カラカトサニスは別の2作品の撮影を担当しました。バ・デボス監督の『Ascension(原題)』(コダック 35mmと65mm)とクーン・モルティエ監督が進める『Angel(原題)』(コダック 35mm)です。
エレベーターでのトーニャとジェフ Courtesy of NEON and 30WEST
カラカトサニスはこう続けます。「3作続けてフィルムで撮影したことは、目の覚めるような経験でした。私は色や質感、艶など、フィルムから自然に得られるすべてが好きなのです。デジタルでも、必要な照明やセットのデザインを全て得られますが、映像が壁紙のように平べったく見えることがあります。ああいった時にフィルム特有の有機的な持ち味を模倣するように、デジタル画像を加工することも確かにできるでしょう。しかし、一般的な10ビットもしくは12ビットの映像で作業を進めると、不自然な仕上がりになり、フェイクのように見えてしまうかも知れません。でしたら最初からフィルムで始めてみたらどうでしょうか?」
競技前のトーニャとスタッフたち Courtesy of NEON and 30WEST
「10年、20年、30年、もしくはそれ以上の年月の間、上映されるであろう作品について、フィルムがスタンダードになるべきだということは、私の中では疑いの余地がありません。フィルムには、100年以上の知識と歴史に基づく、第一級で時代を超えたルックがあります。デジタルにおける問題は常にアップデートを受けながら、それゆえに今も進化しているということでしょう。初期のデジタル技術で撮影された作品は、現在ではとても古めかしく見えます。とんでもなくひどいものもあれば、完全に時代遅れになったものもあります。フィルムで撮影された映画の方が、時間的な試練によく耐えられるでしょう。フィルムは作品にまた別の魂を吹き込んでくれるのです」