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2019年 3月 8日 VOL.135

映画『月夜釜合戦』- 撮影から上映まで16mmフィルムにこだわった人情喜劇映画!

(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

偉大な「釜」を巡る争奪戦の火蓋が切って落とされる!
2017年の完成までに構想から7年。監督自らが住み込んで撮影に臨んだ大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)を舞台にした『月夜釜合戦』が、いよいよ3月9日(土)から東京のユーロスペースにて、4月20日(土)から横浜シネマリンにて、ともに2週間限定で公開されます。全編16mmカラーネガフィルムで撮影されたこの人情喜劇は、フィルムへのこだわりから16mmプリントフィルムでの巡回興行を2017年12月から関西で展開し、ついに関東でも上映されることになりました。2018年、ポルトガルのポルト・ポスト・ドック国際映画祭で日本映画初のグランプリを受賞しています。

 

今回、佐藤零郎監督、小田切瑞穂撮影監督、梶井洋志プロデューサー、そして本作のタイミングを担当されたIMAGICA Lab.の井上大助氏にお集まりいただきお話を伺いました。

完成まで7年。一番苦労されたところは何でしょうか?

佐藤D: 一番辛かったのは・・・、何にもしていなかった時ですね(笑) やっている時、つまり撮っている時や編集している時は前に進んでいるわけじゃないですか。でも実はシナリオ書いてる時に、もうスタッフを先に集めていたんです。カメラマンの小田切は東京、録音の江藤は沖縄からこの映画のために引っ越して来ていたんですが、2年間くらい何もすることがない。実はこの間は釜ヶ崎で映画を製作するための下地を作っている期間だったんで、そういう意味ではこの間はしんどかったですね。撮影が始まってからは、例えばカメラマンと揉めたり、プロデューサーと揉めたりしたことはありましたけど、何もしてなかったことと比べればましかなと思いました。

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佐藤零郎監督

この作品を作ろうと思われたそもそもの経緯を教えてください。

佐藤D: 2010年頃に西成区の釜ヶ崎で劇映画を撮りたいと思っていたんです。それには前作の『長居青春酔夢歌』(2009年)というドキュメンタリーが関係していて、長居公園で野宿している人たちのテント村が強制立ち退きにあう話です。その強制立ち退き当日に、普通はテントの前でスクラムを組んだりして抵抗するんですが、そうではなく、野宿している人たちや支援している人たちがテント小屋に舞台を作って、強制退去させられることに対する怒りなどを芝居で表現するんですけど、それを見た時にすごく可能性を感じたんです。ただスクラムを組むのではなく、芝居をするという方法で訴えるという現実に立ち向かう力強さを感じて、その芝居をドキュメンタリーとして撮っていたんですが、自分が釜ヶ崎で作品を撮る時は芝居でやりたいと思ったのがきっかけです。ただ僕は、今までドキュメンタリーしか撮っていなくて、劇映画は今回が初めて、シナリオを書くのも初めてだったので、最初はどうしようかと不安もありました。

(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

撮影自体はどれくらいの期間を要したんですか?

佐藤D: 本格的に撮影が始まってからは半年強くらい、確か5月から12月くらいまでだった思います。主に土日やゴールデンウィーク、子役の関係で夏休みや、あとは東京から来てくれた役者さんの都合に合わせて撮影しました。テスト撮影とかを入れると1年半くらいはかかっています。

(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

16mmで撮影することになった経緯は何だったのでしょう?

 

佐藤D: 撮影監督を誰にするかと考えた時に、そういえば小中高とバスケ部の後輩でよく知っていた小田切が居たなと思い、彼にやってみないかと声を掛けたんです。実は彼も今回が撮影監督としては初めてだったのですが、なぜ彼を選んだかというと、彼が海外で撮っていたビデオを見たことがあって、人との距離感が良かったんです。フレームの中での人物の収まりがしっくりいってて。それで彼が初めて釜ヶ崎へ来た時、街を観た感想を聞いたら、「臭いがええなあ、なんかええ臭いがするわ」て言ったんです。要はクサイ臭いですよ(笑) 彼はボリビアやアフリカなどによく行っていてたので、そのように感じたんだと思います。僕はその時はもう10年くらい釜ヶ崎へ通っていて、そういう感覚は正直忘れていました。それを初めて来た人間に、「臭いが良かった」と言われて、そうかと思い出したんです。僕も初めてこの町へ来た時に衝撃的だったのはこの臭いだったんです。それでこの臭いを映画では描かないと駄目だと思いましたし、この臭いをどう表現するかと考えた時に、「16mmフィルムだったら表現できるし、この臭いも映るだろう!」と思ったのです。16mmフィルムへの憧れもあって、16で撮影することになりました。

(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

仕上げの過程もほぼフィルム仕上げですよね?

佐藤D: ラッシュを簡易テレシネしてデジタルでノンリニア編集をして、それをもとにポジで編集して、ネガは編集の山本浩史さんにしてもらいました。まあこだわりというか、それしか方法が無かったんですね(笑)

梶井P: 実際に資金的にも厳しかったのでプロデューサーとしては少しでも安く上げたいのでデジタルでの仕上げも考えました。でも撮影のプロセスや現場で起こったことを一緒に見ていると、なんか「釜ヶ崎」という同じ街なのに日々何かが違うんです。起こる現象が違うんですね。同じ街、同じ場所、同じ脚本で撮っているのに、釜ヶ崎という街では起こることが違う。それを1ロール10分ちょっとしか撮れないフィルムで撮るという一回性というか、その時起こることにフィルムを回すということにすごく意味があるんじゃないかと思いました。それは観念的になるけれど、デジタル化することによってかなり失われてしまうものがあるのではないかと思いまして、最終的にフィルムで仕上げていこうと思ったんです。

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(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

制作の過程でフィルム仕上げを決意されたわけですね。

梶井P: 編集の山本さんが、「フィルムを切って繋いでいる時は、肉体的に映画のシーンを繋いでいるという感覚がある」と言われていたんです。「それはデジタルでも同じはずなんだけど、何か違う」というお話を聞いて、「何か肉体的なものを入れるという感覚」は、この映画にとっては重要なのではないかなと。ただコマを切ってタイムラインを入れるのではなく、フィルムを繋ぐというところが重要だと思ったんです。ただ、本当に何ひとつ簡単にいかなかったですね。フィルムで仕上げるということになって、ほとんどの人は自分たちでやるという経験が無くて、どうやってプリントで仕上げられるんだろうって。編集はスティーンベックを使ってやるつもりだったんですが、そうしたらシネテープはもう製造されていないという話を聞いて、シネテープ無しでどうやってフィルム編集やるんだろうと思っていたんです。そうしたら、神戸映画資料館の安井喜雄さんからシネテープが余っているという話を聞いたので、じゃあそれを使わせてもらってスティーンベックで編集しようと思ったら、今度はその借りてきたスティーンベックが全然動かない。その上そのシネテープは経年劣化でパリパリになっていて使えない。最後には実際にデジタルで撮った音をシネテープに録音するシネコーダーが壊れて録音できないというような状況で、なかなか上手く進まなかったんです。そんな時、編集の山本さんから「シンクロナイザーを使えば編集は出来るよ」と教えて頂いたんです。それがなければラッシュは切れないと言われたので、それなら何とかシネテープを探さなければと思って、確かコダックの宮城さんに連絡したら、シネテープはアメリカから取り寄せられると聞いて、ようやく入手出来て編集が出来たっていう感じです。その間、みんなは多分言いたいことはあるけれど黙っていてくれたと思うんです。撮影が終わっているのになかなか完成しないっていうことを。そんな無言の圧を感じながら、そういう課題を一つ一つクリアしないといけなかった期間はしんどかったですけど、それがかえって重要というか、今から思えば一番の記憶に残っているところかも知れませんね。できるだけ楽に進めたいという気持ちはありましたが、こういう一つ一つのことが実を結んでいって、血の通った作品が出来上がるには必要なプロセスだったなと思います。

梶井洋志プロデューサー

興行でもプリント上映にこだわった理由は何でしょうか?

佐藤D: 一つ言えるのは、16mmでやるからこそカンパをしてくれた方々がいましたし、16mmでやるということで、いろんな人達の様々な想いが乗っかっていたんですよね。そういった想いに対してどうしたら良いの?って考えた時に、上映も16mmにするという選択になったんだと思います。

(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

長い間苦労されてきた作品の初号プリントを観た時の皆さんの感想はいかがでしたか?

佐藤D:  僕は普通の正常な気持ちではいられませんでしたね。試写で初めて他のスタッフに映画を観せるわけじゃないですか。実はスタッフに観てもらうのが一番怖いんですよ。関わった人は想いの内側を知っているわけで、なんか色々見抜かれている感じでそれが怖いんですよね。でも観終わった後にみんなの反応が良かったんで正直肩の荷が下りた気がしました。
 

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(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

梶井P: 僕は編集段階で監督の次くらいたくさん観ていたと思うんです。ただ完成初号を観た時に、按摩屋でのシーンがあるんですが、僕はあんまり映画を観て笑ったことないんですが、そのシーンがすごくおもしろかったんです。多分なんてことないシーンだったのかも知れないですけど、作品として初めて一本に繋がったものを観たことで皆の真剣さが伝わって来て逆におもしろかったですね。みんなの反応が心配というより楽しんで観ました。

小田切C: 初号プリントを観た時は「ああ良かったな、無事にできたな」という感じですね。7年もかけていると、皆が良かったと言ってくれるのが一番ですね。僕は、実は初号の前の段階でIMAGICAウェスト(現 IMAGICA Lab.)の井上さんとタイミングのやり取りをしている時が楽しかったですね。色の補正でこんなにも感じが変わるんだというのが非常に新鮮でした。
 

小田切瑞穂撮影監督

井上氏: ナイトシーンが500Tで、あとは50Dと250Dで、三角公園のところは基本50Dだったと思いますが、監督が言われている通り、釜ヶ崎の匂いや空気感がフィルムの質感で上手く表現されていると思いました。特にナイトシーンがとても綺麗でしたね。釜ヶ崎で撮っているのでそれほど照明は使えなかったと思いますから、つぶれたところもあるんですけど、デジタルだとつぶれたらそこには違和感があるんですが、フィルムの場合、特に上映で観るとつぶれたとしてもそこに何かあるような想像力をかき立てられるように感じますよね。そういう意味で本当にナイトシーンが綺麗でした。

井上大助氏(IMAGICA Lab.)

小田切C: そうですね、そんなに照明も無かったですから、いわゆる映画ライトっぽくはなかったです。それはあの釜ヶ崎で、背景自体が美術のようなところで、それをドキュメンタリーというか、そこに居る人たちや街を撮らなければならなかったので、僕は別に綺麗に映画のようなライトをたかなくて良かったと思っています。先ほど、井上さんが言われたように「暗部に何かある」感じを表現することは僕も考えたところではあったんです。

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(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

小田切さんは、技術的にカメラマンとしてこだわったところはどこですか?

小田切C: 撮影に関しては、何が一番大事かを考えました。特に人との距離感をどう撮るかを。そして本当に撮りたい画にこだわって撮影に臨んでいたと思います。あそこに集まって来ている人を撮る。1年後どうなっているか判らない人たちでも、そこに居るその人たちの、あの街の「暗部」をきちんと撮れたらと思って撮影していました。
 

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(C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

井上さんはタイミングマンとして関わられてきて、どのような感想をお持ちですか?

 

井上氏: みなさんの情熱がすごいと感じました。あの場所で撮影するのってすごく大変でしょう。しかもフィルムで撮るというのは、なかなか出来ないことだと思いますから敬意を表したいと思います。作品として観てもらいたいのは当然ですが、これからカメラマンになりたいとか、監督になりたいと思っている方にとっては、フィルムで撮影されたものをフィルムで観られる滅多にないチャンスなので、是非劇場へ行って、映像表現の一つとして選択されたフィルムが作品の仕上がりや印象にどのような効果をもたらしたかも感じてもらいたいですね。

 

いよいよ3月9日からは東京で公開ですね。

 

梶井P: ここに来るまでにいろんなものが積み上がってきています。完成から東京へ来るまでの間に釜ヶ崎や関西、広島で上映したり、海外の映画祭へ持って行ったりしました。観た人たちがこの映画を応援してくれて今に至っているので、2017年に完成して上映した時とは違って、いろいろな想いが乗った作品として東京での公開を迎えたいと思っています。
 

佐藤D: 「釜の底力を見せたる!」ていう感じですかね(笑) なんと言ったって中心じゃないですか東京は。そこで自分たちのフィルムの力強さや映画の力をぶち込んで見せてやりたいな(笑) 人間の生きるということのエネルギーみたいなものを感じてもらえたらいいですね。どんなに強い圧力があっても、その圧力に勝るくらいのエネルギーで走っているというか、生きている、そのエネルギーを感じてもらえたらいいですね。それでこの映画を観て自分も頑張るぞっていうような気持ちになってもらえたら嬉しいですね。

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佐藤監督(左)と梶井プロデューサー

(インタビュー:2019年 2月)

 PROFILE  

監督・脚本

佐藤 零郎
さとう れお

1981年 京都生まれ。
2005年より映画監督佐藤真に師事し、ドキュメンタリーを学ぶ。
2007年 大阪長居公園テント村の野宿生活者達が、強制的に立ち退きにあうときに、芝居をすることで権力と対峙する姿を記録した『長居青春酔夢歌』が山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波(2009)にノミネートされる。
長居公園の現場でNDUの布川徹郎と出会い、以後行動を共にする。個々人としてドキュメンタリーを制作するのではなく、集団的な批評や議論を必要とした関西の若手ドキュメンタリストの集団NDS(中崎町ドキュメンタリースペース)の立ち上げに関わる。「映画と社会変革」を自身の創作活動のテーマとしている。

撮影監督

小田切 瑞穂

おたぎり みずほ

1983年京都生まれ。
<撮影作品>
2015年 藤本幸久監督作品『圧殺の海』第二章 辺野古 撮影
2016年 藤本幸久監督作品『高江 森が泣いている』1、2 撮影 
2017年 木村あさぎ監督作品『蹄』
2017年 『月夜釜合戦』 撮影監督
目の前に流れる映像/今を眺め、またその映像とそれをみている私たちの世界の今/現実とがどういうふうにバランスをとったり変化しているのかを日々考えている。

プロデューサー

梶井 洋志

かじい ひろし

1983年 大阪生まれ。
大阪を拠点に、集団でドキュメンタリーを製作・上映するNDS(中崎町ドキュメンタリースペース)に所属。映画を製作・上映することを起点に場=スペースを生み出すことを主な活動にしている。

タイミング

井上 大助

いのうえ だいすけ

1979年 大阪生まれ。
2003年 IMAGICAウェスト(現:IMAGICA Lab.)入社。
アーカイブを中心とした数多くのフィルム作品に携わる。
現在、タイミングをメインにしたフィルム技術全般に加えカラーグレーディング等アナログとデジタル両方の業務に従事している。

 撮影情報  (敬称略)

『月夜釜合戦』

 

監督   : 佐藤 零郎

撮影監督 : 小田切 瑞穂
撮影助手 : 清水 久美/藤葉 健太郎/五味 聖子
照明   : 栗原 良介
タイミング: 井上大助(IMAGICA Lab.)

キャメラ : ARRIFLEX 16SR2
レンズ  : Carl Zeiss Vario-Sonnar 1.8/10-100
フィルム : コダック VISION3 500T 7219、250D 7207、50D 7203
現像・仕上: IMAGICAウェスト(現 IMAGICA Lab.)
機材   : ナックイメージテクノロジー

製作・配給: (C)2017 映画「月夜釜合戦」製作委員会

公式サイト: http://tukikama.com/
 

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