2020年 6月 10日 VOL.161
映画『ルース・エドガー』のドラマチックな緊張感にフィルムが命を吹き込む
高校教師ハリエット・ウィルソン(オクタビア・スペンサー)の授業を受けるルース・エドガー(ケルビン・ハリソン・Jr.) Courtesy of Cinetic.
アフリカの戦火の国から養子として引き取られてきた模範的な高校生が、ある教師によって真意を問われる姿を描いたJ・C・リーの戯曲が、ジュリアス・オナー監督(『クローバーフィールド・パラドックス』)によって大スクリーンに展開されます。映画『ルース・エドガー』には、ケルヴィン・ハリソン・Jr.、ナオミ・ワッツ、ティム・ロス、オクタヴィア・スペンサーらが出演、撮影監督は才能あるラーキン・サイプル(『COP CAR/コップ・カー』)が務めました。サイプルはこう述べています。「登場人物の人格形成、会話、そして作品が生み出す絶妙な緊張感に焦点を当てることに興味を持ちました。本作は、私が35mmフィルムで撮影できた最初の長編作品で、プロジェクトへの取り組み方を変えてくれました」
フィルムによる上映プリントは、2019年のサンダンス映画祭でのワールドプレミア向けにデジタルインターメディエイト(DI)から作られました。サイプルはこう説明します。「簡単に言うと、フィルムは最高のルックをもたらすフォーマット。色の表現が驚くほど素晴らしい。カラーグレーディングの後、肌や顔がどう仕上がったかを見れば、フィルムよりデジタルを選択することは難しいでしょう。監督のジュリアスは、最初からフィルム撮影を強く求めており、それを実現すると決めました。挙句の果てにジュリアスは、インディーズ映画の予算で4パーフォレーションのアナモフィックで撮影したいと言い出したのです!結局、私たちは3パーフォレーションのアナモフィックで撮影することにしました」
撮影監督ラーキン・サイプル(左)とジュリアス・オナー監督 Ⓒ Jon Pack.
コダック VISION3 500T カラーネガティブ フィルム 5219が全編を通して日中、夜間、屋内外に使用されました。「とても素晴らしいフィルムです。4パーフォレーションのアナモフィックではなく、3パーフォレーションで撮影していたので粒子も実にいい感じでよりはっきり見えています。粒子が粗かったりクリーンだったりするわけではありませんが、質感的に難しいところに絶妙に留まっているのです。予算面の問題で照明に課題があり、絞りT2.8で撮影していたので、もっと高感度のフィルムがあったならきっと使っていたでしょうね。粒子感を求めていたり、フォトケミカルのプリントを作ったりするのでなければ、私はフォトケミカルでフィルムを増感したり減感現像したりするのは好きではありません。それよりも、もっとコントロールが効くので、グレーディングで増感したり減感したりする方が好きですね」
準備期間の4週間、毎週末にショットリストと全シーンのレイアウト作成作業がありました。「最初にミヒャエル・ハネケの作品(『愛、アムール』、『白いリボン』)に対する共通の愛着、そして撮影範囲を最小限にすることと、どうすればカメラの配置がキャラクターの視点を劇的に変えられるか、といったことを通じてジュリアスと私の間に絆が生まれました」とサイプルは語ります。「本作の進行自体はチェスの試合のような感じで、ショットの構成と撮影範囲でその緊張感を映し出す方法を見つけ出すべく、かなりの時間をかけました」
撮影監督ラーキン・サイプル(中央)とクルー Ⓒ Jon Pack.
『隠された記憶』(2005年、監督:ミヒャエル・ハネケ、撮影監督:クリスティアン・ベルガー)と『コード:アンノウン』(2000年、監督:ミヒャエル・ハネケ、撮影監督:ユルゲン・ユルゲス)の映像がインスピレーションの源でした。「ですが、私たちは全体を通して、シーン内の人物を取り巻くルースの緊張感を説明することにしました。本編中、学校で60人のエキストラと主要な俳優たちを巻き込む恐ろしい出来事が起きます。緊張感を保つため、そのシーンをワンショットで撮影することに決め、別のアングルに切り替えることで観客に息をつかせないようにしたのです。それを実行するのは大変で、たくさんテイクを撮ったのですがうまくいきました。見ているほとんどの人は、自分がシーンを見ているのだということにさえ気づきません!」
“露出不足で哀感のあるインディーズ映画のフィルムルック”になるのを避けるために、ある決定が下されました。「代わりにジュリアスは、豊かで昔ながらのドラマチックな映像を作りたいと考えていました。『マグノリア』(1999年、撮影監督:ロバート・エルスウィット(ASC))のような、初期のポール・トーマス・アンダーソンに近い感じです」とサイプルは言います。「おそらくここが最大の難関でした。私は自然光で撮影し、露出を最小限にすることに慣れていたからです。ですが、これを実現するには、単に部屋を照らしてオーバー露光することで濃密なネガを作るのではなく、たくさんの窓から光を入れて顔を照らさなければなりませんでした。私は最初、この方法には反対でしたが、ショットリストを作った後、映像に安全でなじみのある感じが出ることより、これが観客を構えさせないためのもう1つの手法になることが分かりました。そのため、混沌とした第三幕が展開される時、観客は無防備になっています。最終的にそのルックを“パンチの効いた自然主義”と名付けました」
撮影監督ラーキン・サイプル(左)とジュリアス・オナー監督 Ⓒ Jon Pack.
フッテージは、パナビジョン・ミレニアムXLカメラに加え、Gシリーズ、Eシリーズとプリモシリーズのアナモフィックレンズで撮影され、夜のシーンではスーパーハイスピードのアナモフィックのセットが使われました。「私たちは主にGシリーズの25mm、35mm、40mm、50mmを使いました」とサイプルは言います。「3パーフォレーションのアナモフィックで撮影するにあたり難しかったのは、レンズがどれも実際の焦点距離より基本的に1.5倍長くなることでした。そのため、私たちが使った35mmはほぼ50mmだったのです。また、のぞき見的なシーンのいくつかで、ATZ、すなわちテレフォトのアナモフィックズームも使用しました。プリモのアナモフィックレンズのセットは、ある程度の分離を作ることが可能な、絞り開放値T2まで開けられるので、ワイドショットに使用しました。ピックアップのショットはアナモフィックのTシリーズで撮影されたのですが、Gシリーズに比べてきれいに解像できることに衝撃を受けました。間違いなく、よりモダンなルックになります」
「照明はブロッキング(俳優の演技に合わせてカメラの配置や動きを決める作業)によって決められていきました」とサイプルは明らかにします。「私たちは、ブロッキングを通して俳優たちにカメラの配置を委ねる傾向がありました。180度のドリーを使ってキャラクターの動きや視点の変化を見せるのではなく、キャラクターにカメラの周りを動いてもらうことで、似たような視点を作り出したのです。小さな空間で撮影していたため、これも必要なことでした。もう1つ決めたことが、本作は常に観客に登場人物や彼らの選択について推察するよう促しているため、客観的なカメラになるように保ったことでした。私たちがカメラの動きを許したのは、対立している人物同士の緊張感を高める時だけでした」。本作のアスペクト比は2.35:1です。「多くのシーンが、2人の人間の間で交わされる会話なので、フレームの中に緊張感を生み出し、基本的に頭上にある照明を隠すのにも役立ちました」
エドガー家の面々、左よりピーター(ティム・ロス)、ルース(ケルビン・ハリソン・Jr.)、エイミー(ナオミ・ワッツ) Courtesy of Cinetic.
本作のロケーション選びは困難を極めたそうです。「私たちは写真的でありながら冷たい、現代的な学校を探していました」とサイプルは振り返ります。「大抵の学校は何もない白い壁か、暖かい雰囲気の木材の壁なのです。いろいろな高校を約20校も見て、最終的にロングアイランドの別々の高校を2校選びました。薄暗さが美しい冬に撮影を行いましたが、それにより、日中の屋内に一貫性を出すのが非常に困難になりました。また、非常に寒く、本作の重要な“一大シーン”には、ある人物が精神的に衰弱し、外で服を脱いで裸になるシーンがありました。撮影当日は氷点下の寒さで、10テイクほど必要になることが分かっていたため、そのシーンは学校の屋内に移されたのですが、実際はそれにより、より濃密なシーンとなりました」。本作の撮影を実現するにあたっては数名のスタッフが関わっています。「私には、照明担当のギャビン・カラン、キーグリップのジェシー・サヴィオラ、第1カメラアシスタントのザック・ルービン、第2カメラアシスタントのグレッグ・ペース、ローダーのジャスティン・ルブラン、ステディカムとAカメラのオペレーターのデイブ・イザーンで構成された素晴らしいチームがいました。ザック・ルービンがこれらのいくつかのショットでシャープさを保ってくれていたのは今でも衝撃です」
『ルース・エドガー』は、土っぽく、寒色のカラーパレットになっています。「私たちは本作の世界観に様々な青、緑、灰色、白を選びました」とサイプルは説明します。「赤は、第三幕で目立つように使用されるまで、どのシーンでも取り除かれました。DIでテクニカラーのアレックス・ビッケルと協力し、顔の中の微量の緑やマゼンタを引き出して、俳優たちの人間味を出そうとしました。フィルムでしかできないことです。また、暗部をかき混ぜて、フィルム全体にオリーブの微妙なダブルトーンを使い、豊かでありながら、若干パレットから外れた美しさを作り出しました。このルックは、クラシックなアメリカ的な雰囲気がしつつも少しずれた感じがするのです」
教師ハリエット・ウィルソン(オクタビア・スペンサー) Courtesy of Cinetic.
いくつかデジタルで補強したところもありました。「数カ所、小さなVFXショットがあったのですが、グリーンスクリーンは使わないことに決め、そのショットは主にCGIで作成しました」。映像は正直でなければなりませんが、必要以上に美しくある必要はありません。「ルースの物語は非常に複雑です。私たちは、観客にパフォーマンスの細部に注目してもらい、何層も重なったプロットに没入してもらいたかったので、派手な撮影手法はまったく必要ありませんでした!」
『ルース・エドガー』
2020年6月5日よりヒューマントラストシネマ渋谷他全国公開中
原 題: Luce
製作国: アメリカ
配 給: キノフィルムズ、東京テアトル
公式サイト: http://luce-edgar.com/