2021年 7月 14日 VOL.178
コダックの白黒フィルムが、ロバート・エガース監督の絶賛されたファンタジーホラー『ライトハウス』の映像に独特の個性をもたらす
1890年代を舞台にしたロバート・エガース監督のファンタジーホラー『ライトハウス』の主演を務めるウィレム・デフォー(左)とロバート・パティンソン Image by Eric Chakeen. Courtesy of A24
ロバート・エガース監督による1890年代を舞台にした観客を引きつける映画『ライトハウス』は、コダックの白黒35mmフィルムで撮影され、2019年のカンヌ国際映画祭で上映された後、その嵐のようなストーリーテリングと魅力あふれる美しい撮影に対し批評家たちから多くの称賛を得ました。本作はプロの映画評論家たちが授与する、名誉ある国際映画批評家連盟賞を受賞しましたが、他とは一線を画す、風雨にさらされた個性的な映像を生み出したこと自体が非常に興味深い作品となっています。
『ライトハウス』の不気味なストーリーは、1890年代の米国メイン州の海岸線から少し離れた何もない小さな孤島を舞台に、怪しげな過去を持つ灯台守(ロバート・パティンソン)とその先輩(ウィレム・デフォー)との関係が次第に狂っていく様を描いています。
本作はロバート・エガース監督とマックス・エガースが脚本を手掛け、ジェアリン・ブラシュケが撮影監督を務めました。ジェアリン・ブラシュケは、17世紀半ばを舞台とした超常現象ホラーの傑作『ウィッチ』(2015年)を撮る以前から、エガース監督の様々な短編映画で長年タッグを組んできました。
『ライトハウス』の撮影監督 ジェアリン・ブラシュケ
本作の屋外と若干の屋内の撮影は、カナダ南東部ノバ・スコシア州の南西端、ケープ・フォーチューで行われました。灯台全体と別棟の建物は、1960年代に建てられた既存の灯台から見えないように一から作られたものです。上階のセットは、ヤーマスという町にある付近の飛行機の格納庫の中に作られました。同州ハリファックス近郊に様々な大きさとパターンの波を発生させることができる緊急時対応訓練用の大きなプールがあり、水を使う撮影のほとんどはそこで撮影されました。高い灯台の内部を含め、その他の屋内はハリファックスの2つの大きな工業用スペースに作られ撮影が行われました。
主要な撮影は2018年4月9日に開始され、当初は31日間の予定でした。しかし、撮影の複雑さとケープ・フォーチューの気まぐれな自然の過酷さが相まって、スケジュールは次第に延び、35日間になりました。
「最初にロブの『ライトハウス』のアイデアを聞いたのは、『ウィッチ』の資金集めよりずっと前の制作段階の時でした」とブラシュケは述べています。「ロブは、『ライトハウス』が執筆される何年も前の最初の段階から、この作品は箱型のアスペクト比で白黒にするべきだと主張していました。私たちは時間をかけてアイデアの断片を話し合い、それぞれの心の奥でこの映画を徐々に育てていったのです」
エガース監督は、空間の狭さや登場人数が限られていること、そして灯台そのものが縦に伸びていることから、当初は1.33:1のアスペクト比を希望していました。しかしブラシュケが、あまり見られない1.19:1のアスペクト比の話を“口を滑らせて”しまったために、状況が一変したと振り返ります。1.19:1は、発声映画への移行期に少しの間存在したアスペクト比です。
ブラシュケはこう語っています。「1.19:1ならロブが求めているものをどう満たすだろうね、と私が彼をからかったのです。彼は驚きながらも熱狂的にこのアイデアを受け入れました。『ライトハウス』は1.19:1になり、ロブはそのフォーマットで見られる過去の映画を見始めました」
閉所の鉱山で撮られたフランスの第一次世界大戦の映画など、有用な例がいくつかあることが分かりました。しかし、事態を変えたのは最も有名な1.19:1の映画、フリッツ・ラング監督の『M』(1931年、撮影監督:フリッツ・アルノ・ヴァグナー)でした。この作品は、警察当局が児童殺人犯を捕まえられない中で犯罪者たちが捜査に加わってくるというストーリーです。
「それを見て、驚くべきカメラワークの非常に現代的な映画だと思いました。しかしそれ以上に重要だったのが、どうやって視覚上の情報を観客に隠すか、どのタイミングでどうやって情報を与えるかという点における現代的で創造的な卓越した技でした」とブラシュケは語ります。「この新しいインスピレーションを受けて、映像で自分自身を表現できる効果的なフレームワークがあるのだと感じました。私たちは単なる19世紀の模倣から脱却し、より驚きに満ちた重層的なものへと進んだのです」
カメラワークショップでフィルムを回す撮影監督 ジェアリン・ブラシュケ
物語の舞台が1890年代なので、ブラシュケは早くから単なる白黒ではなく、入り込みやすい質感やパレットを作って『ライトハウス』の映像の個性となる美しさを生み出すにはどうすればいいかについても考え始めました。
「初期のアイデアは2つありました。1つは、世紀末に全盛期を迎えた特殊な現像剤(ピロガロール)のもたらす見事な階調のレンジと“液体のような”ルックでした。もう1つは、オルソクロマチックフィルムの硬調な階調の表現です。オルソクロマチックフィルムは肌の質感や空気中のもや、空の明るさを際立たせてくれます。これは、オルソクロマチックフィルムが赤い光を“見る”ことができないためで、紫外線や青い光がかなり明るくなる一方で、肌のトーンなどのオレンジや赤系の色は暗めに表現されるのです。これによって観客を本作の時代設定に引き込む独特な白黒の階調にできることに気づきました。今回はフィルム現像剤のアイデアはうまくいきませんでしたが、独自のフィルターによってとてもいい感じのオルソクロマチックのルックを実現することができました」
ブラシュケは準備期間中にイーストマン ダブル-X ネガティブ フィルム 5222のパンクロマチックのネガに加えて、デジタル映像とカラーネガフィルム(コダック VISION3 500T カラーネガティブ フィルム 5219)の両方を後からデサチュレーションするところからテストを始めました。1959年に発表されたダブル-Xは、マーティン・スコセッシ監督の『レイジング・ブル』(1980年、撮影監督:マイケル・チャップマン(ASC))やスティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993年、撮影監督:ヤヌス・カミンスキー(ASC))など多くのハリウッド映画で哀感のある明暗を生み出すのに使用されました。
「結果として、白黒のネガ以外に私たちが求めるパレットに近づけるものはないという私の直感が裏付けられました」とブラシュケは言います。「ロブと私は、ダブル-Xの汚れたようなどんよりした感じの質感の方が、もやのかかった潮っぽい、視覚的に沈んだ今回の映画により合っていると考えました」
ブラシュケは、パナビジョンと協業しながら“メニューにない”ビンデージのレンズを見たいと希望しました。いろいろと調べた結果、1930年に設計されたオリジナルのバルターのレンズが見つかりました。
「ビンテージのバルターのレンズは、私がテストした中で一番光を放っていて、今まで見た中で最高のポートレートレンズでした。ハイライトが明るく光りますが、やり過ぎになることはありませんでした。こういったレンズは、本作の硬いオルソクロマチックのルックに複雑なレイヤーを足してくれて、観客をフィルムの世界に引き込むことができたのです」
ブラシュケはその後すぐ、パンクロマチックのダブル-X 5222フィルムを使って青と緑に感度を持つオルソクロマチックのルックを表現するにはどのフィルターが最適なのか、そのテストと研究に没頭しました。
「1/2段減感したISO感度160のダブル-Xで見積もってみると、最大でも1段分のロスで済むフィルターが必要でした」と彼は説明します。「ネットで調べたところ、科学用途の“ショートパス”フィルターが見つかり、これこそが私たちに必要なものだと思いました。このフィルターは、紫外線から中間の黄色まではあらゆる光を自由に通し、オレンジや赤や赤外線の光は通さないようにするというものです。しかし、これらのフィルターは直径39mm以上のものは製造されておらず、現場では使えないことが最終的に分かりました」
「幸いにも、パナビジョンのマイク・カーターがシュナイダーオプティクスのロン・エングバルトセンと連絡を取ってくれたのですが、彼が私の求める正確な仕様に合わせてカスタムメイドでハードカットのショートパスフィルターを作ってくれたおかげで、1段よりも少ないわずかなロスで済みました」
撮影中、ブラシュケはセットで照明にかなり気を遣う必要がありました。照明装置はハリファックスのウィリアム・F・ホワイトが提供してくれました。
「実質的にダブル-XをASA感度80で撮影していたこと、そして私が日中の屋内の効果で反射した光が好きなことから、カナダ東部の大型HMI照明のほとんどを使いましたね」と彼は言います。「すべての有効な小さな窓の外側に、モスリンの布で巨大なパノラマを敷き、効率的に白い円形パノラマを作り、手に入る限りの従来型の18KとARRI Mシリーズの9K HMIでなるべく均等に照らしました」
「白い円形パノラマの一部を明るめにしたり暗めにしたりして、必要な場所に光を集めることにしました。こういったコントロールされた環境では、大抵は絞りをT2.8に固定して撮影しました。セットの外に出て照明があるところに行くと、本当にまぶしいんですよ」
ブラシュケは、夜のシーンは彼にとって新しい体験だったと言います。その理由は、フィルムの感度を低く設定したこと(シーンに応じてISO感度50もしくは80)と、さらに、ダブル-Xは現代のフィルムやデジタルのフォーマットよりも暗部のラチチュードが非常に狭いことでした。これはつまり、彼がそれまで行っていたような自然な環境光に頼ることが必ずしもできなくなり、しばしば機敏なフィルライトが必要だったということです。
夜の屋外ではHMIを使いましたが、夜の屋内の照明は灯台守のランタンが中心で、ハロゲン電球しか使えませんでした。当然、タングステンやハロゲンの光は青系の光よりも赤系の光が多いため、光の大部分はオルソクロマチックフィルターによってカットされました。
「テストの結果、こういったタングステンを使う状況だとさらに2/3段を失い、夜の屋内ではISO 50用の照明にせざるを得ないことが分かりました。明るいレンズを使って俳優たちに3フートキャンドルの照明を当てるのではなく、2.8のレンズで100から200フートキャンドルの照明を当てたのです」
『ライトハウス』の現像は、ロサンゼルスのフォトケムで行われました。
「もっと近くの白黒のラボでテストしたのですが、フォトケムが抜群に良く、最も安全でクリーンな現像をしてくれたのです。ですから、撮影中は1日か2日に一度、フィルムをバーバンクに送りました。ダブル-Xの最適値であるISO感度250より2/3段露出オーバーにし、さらに、フィルムを1/2段減感して特性曲線を真っすぐにし、1959年から変わることのないフィルムのラチチュードをできるだけ広げました」
「階調に関して言えば、プリントによって復元されたコントラストは常にネガの特性曲線の足と肩に階調を押し込むよりもきれいなんです。1段減感にしても良かったのですが、その時点では光量には苦労していました。1930年代のレンズがその性能を無理なく発揮するには最低でもT2.8にする必要があり、フィルターをかけた後、光源に合わせてISO感度50から80で作業していました」
ブラシュケはこう締めくくります。「私はフィルムを強く支持しているんです。できることならほぼ全てをフィルムで撮影したいと思っています。そしてロブは『ライトハウス』での経験以降、その思いをさらに強く持っています。本作で使ったダブル-Xは、現代のカラーフィルムとは大きく異なりますが、映像の中に物理的な存在感がある点は共通しています。フィルムには現実におけるものの見え方を表現する階調の深みがあるのです。しかし、それだけではありません。フィルムは、あなたを別の場所へ、紛れもない映画の世界へと連れて行ってくれるという魔法のような効果を持っています」
『ライトハウス』
2021年7月9日より公開
製作年: 2019年
製作国: アメリカ・カナダ・ブラジル
原 題: The Lighthouse
配 給: トランスフォーマー
公式サイト: https://transformer.co.jp/m/thelighthouse/