2023年 4月 12日 VOL.207
ノア・バームバック監督の不条理な風刺映画『ホワイト・ノイズ』― コダック 35mmフィルムで1980年代を表現
『ホワイト・ノイズ』でジャックを演じるアダム・ドライバー Photo courtesy of Netflix Ⓒ 2022.
ノア・バームバック監督が映画化したコメディタッチの不条理な実存風刺劇『ホワイト・ノイズ』の中心テーマは、不確かな世界で「死」について考えることからいかに逃れるかです。例えばその方法は、偶像崇拝や薬の服用、あるいは単に大型ショッピングセンターでの買い物だったりします。
本作は、長年映像化が不可能と言われ続けてきたドン・デリーロによる同名のカルト小説(1985)をバームバックが映画化したもので、同監督が初めてオリジナル脚本ではなく小説の映画化に挑んだ作品です。家庭内/キャンパスのドラマ、アクション/アドベンチャー/惨事の映画、暗黒のホラーの3幕構成になっており、ロサンゼルスを拠点としているイギリス人撮影監督ロル・クロウリー(BSC)が、コダックの35mmフィルムを使って登場人物間の奇妙なやり取りを見事に描き出しています。
『ホワイト・ノイズ』の撮影監督ロル・クロウリー Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
舞台は1980年代、アメリカ中西部の架空の学園都市ブラックスミス。カレッジ・オン・ザ・ヒルの教授でヒトラー学の草分けであるジャック・グラッドニー(アダム・ドライバー)を中心に話は進みます。複数回の結婚経験を持つジャックには、現在の配偶者であるバベット(グレタ・ガーウィグ)との間に生まれた2歳の子供以外にも、それまでの結婚生活でもうけた多くの子供たちがいます。2人は死が避けられないことを心配し、ジャックが不穏な悪夢に堪えている間、だれが最初に騒々しいこの世を去るのか頻繁に思いを巡らせます。
そんなある日、町外れで起きた悲惨な列車事故が、有毒な黒煙の「空媒毒物事象」を引き起こしました。大規模避難中、雨の高速道路でステーションワゴンがひしめく中、自分たちの死と向き合うことを余儀なくされます。その後、死の恐怖を取り除く治験薬「ダイラー」を手に入れるため、バベットが「ミスター・グレイ」という男と浮気していたことを知ったジャックは、銃を手に薄暗いモーテルの部屋でその男を追い詰めるのです。
Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
1億ドルを投じて製作された本作品は、2022年のヴェネチア映画祭で初上映され、それに続く限られた劇場での公開を経てNetflixで配信が開始されました。バームバックの演出や役者たちの演技、そしてクロウリーの積極的で多彩な撮影技術が好評を博しました。
撮影は2021年6月から11月、オハイオ州クリーブランド周辺の様々なロケーションで約60日かけて行われました。大惨事となる鉄道事故は、ジョージア州のロケ地で第2撮影班が2週間で撮影しました。
「私はフィルム撮影が大好きです。幸運なことに、私が参加する前に監督やプロデューサーによってフィルムでの撮影が決定されていることが多く、『ホワイト・ノイズ』もそうした作品のひとつでした」と語るクロウリーは、撮影者としてこれまでに『Ballast』(2008)や『シークレット・オブ・モンスター』(2015)、『ポップスター』(2018)、『悪魔はいつもそこに』(2020)などの映画を担当しています。
「以前からノアの作品のファンで、『ポップスター』で編集を担当したマシュー・ハンナムや『シークレット・ガーデン』(2020)で一緒だったプロデューサーのデヴィッド・ハイマンを通じて彼と知り合いました。光栄なことですよ」
Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
「この映画の原作は様々なスタイルやジャンルを内包しており、ノアはそのエッセンスを本作に取り込むことが重要だと考えていました。私たちは、アナモフィックレンズを使ってフィルム撮影された作品も含めて1970年代、80年代の映画を参考にできるという美的なアイデアを共有しました。これまで私が撮影してきた作品は自然な描写が多かったのですが、本作では物語の不条理さを下支えするために大胆な選択をし、様式化されたビジュアルと照明でシュールな感じを追求しました。とても楽しかったです」
クロウリーはさらに続けます。「第1幕のジャックとその相手とのやり取りが中心の映像のつなぎ方は、観客に自然でダイナミックな体験をしてもらえるように、室内での会話シーンが多いウディ・アレン監督や複数の登場人物の会話を機動性の高いカメラでオーバーラップさせて撮影するロバート・アルトマン監督の手法を意識しました」
「一方、この作品は非常に技術的で視覚的に挑戦した映画でもあり、毒物を積んだ列車の事故やステーションワゴンに乗って雨の中を避難する様子を俯瞰して撮影する手法などは、スティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』(1977、撮影監督:ヴィルモス・ジグモンド ASC、HSC)などのハリウッド超大作を参考にしています。夜のシーンでは、『刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986、撮影監督:ダンテ・スピノッティ AIC、ASC)で見られるようなスタイリッシュな照明の選択も行いました」
Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
「また、ノアと議論する中で、映画の終盤にフィルム・ノワール的な要素を加えようということになり、『パリ、テキサス』(1984、撮影監督:ロビー・ミューラー)を参考に、殺伐としたモーテルのシーンでは豊かで強いコントラストのある色を使い、緊張の高まりや、わずかにもうろうとしたルックを創り出しました」
『ホワイト・ノイズ』の創造的なルックをさらに追い求め、クロウリーは2人の著名な現代写真家からも影響を受けたと言います。1人はグレゴリー・クリュードソンで、アメリカの小さな町の家や郊外をドラマチックかつ映画的に撮影したイメージには、不穏で超現実的な出来事を含んでいます。もう1人はトッド・ハイドで、夜間の都市や郊外の住宅の長時間露光撮影は幽玄な美を表現しています。
クロウリーが『ホワイト・ノイズ』の撮影で使用した機材は、Cooke Anamorphic/i SFレンズを装着したARRICAM LTおよびARRIFLEX 235 35mmカメラです。また、列車の衝突と甚だしい化学物質の爆発の撮影では、ワイドスクリーンでのドラマチックな表現のため、35mmフィルムを横送り8パーフォレーションで撮影するビスタビジョンカメラも使われています。このカメラパッケージは、ニュージャージー州のアリレンタルから提供されたものです。
Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
「80年代の美的感覚を再現する上で、ジェス・ゴンコールのプロダクションデザイン、セット装飾、そしてアン・ロスの衣装デザインは、時代を想起させる色彩としてはそれ以上のグレーディングが必要ないくらい十分だと感じていました」と彼は言います。「Cookeのアナモフィックレンズの特徴は、その美しい描写です。また、他のアナモフィックレンズのように周辺に歪みが生じることがそれほどないので狭い場所でも撮影できます。それも大きな魅力でした」
クロウリーが撮影用に選択したフィルムは、昼間の屋内外のシーンではコダック VISION3 250D カラーネガティブフィルム 5207、低照度や夜間のシーンでは500T 5219です。「この2タイプは相性が抜群で、直面する様々なシチュエーションに対応できる万能選手であることも証明されました。それに、どちらも十分なグレイン(粒状性)を備えているため、映像を見ればフィルムで撮影したと分かるのです」
露光されたネガは、マーク・ヴァン・ホーンとディリーカラリストであるスコット・クロスの監修の下、ロサンゼルスのフォトケムで現像されました。そして、仕上げカラリストであるピーター・ドイルのDIのため、ラッシュは4Kでスキャンされました。
Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
「撮影の間、フォトケムのチームとは密接に連携していました。この協力関係は、特に夜間の室内シーンでとても役立ちました」とクロウリーは明かします。「現像した後、彼らはプリンターライト(の数値)でロールを評価し、電話でシーンの全体的な露出や肌色の見え方についてアドバイスしてくれました。時には半絞りまたは1絞り増感した方が、よりベストな見え方に近づくと提案されたこともあります」
クロウリーによると、この映画に提示されたすべての技術的な課題の中で特に大変だったのが、ジャックが夜間にステーションワゴンで家族を避難させるシーンだったと言います。彼は当初、プロセストレーラー(牽引されるトレーラー)の上に設置された登場人物が乗る車両を追跡カメラ車から撮影するという昔ながらの方法を検討しましたが、車内にいる出演者のやり取りをバームバックが好む近接で撮る助けにならないこと、若い俳優たちに許されている労働時間にも制限されることにすぐに気づいたのです。
それを解決する唯一の方法は、クロウリーが言うところのサウンドステージ(映画撮影用の防音スタジオ)での「光学的な錯覚」でした。クリーブランド郊外にある元倉庫兼配送センターの広い空間内部に、LAを拠点にしたサム・ニコルソン率いるスターゲイト・スタジオのチームが、長さ100フィート、高さ25フィートに(約30 x 7.5m)及ぶカスタムメイドのLED壁面を設置し、そこにマルチカメラで撮影した田舎道の風景を背景として映し出したのです。主人公たちが乗る車は、LEDの壁面から30から40フィート離れた位置に固定され、他の本物の車は無音の電動プーリーシステムで画面内を前後に引っ張られる仕組みになっています。
デニス役のラフィー・キャシディ(左)とバベット役のグレタ・ガーウィグ Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
「このシーンの撮影では、背景の映像、主人公の車や前後に動く車、カメラの動き、照明の変化や人工雨の調整をすべて合わせることで錯覚が完璧に見えました。このおかげで、ノアは若い出演者の撮影時間の制約に対応しながら、必要な指示を送ることができるようになったのです」
クロウリーの前に立ちはだかったもうひとつの難題は、バームバックが車の中の家族を360度撮影したいと希望したことでした。その解決策として考え出されたのが、車体上部に遠隔操縦装置が取り付けられた主人公の特別車です。穴が開けられたルーフからカメラとレンズを垂直に降ろし、そこに45度ミラーを取り付けて車内を見ることができるようにしました。カメラは2つのスライダーに取り付けられており、左右と上下の2軸の動きが可能で、自由に回転させたり移動させたりすることができます。そして車が移動しているように見えるよう車の周りの照明が調整されました。
Photo by Wilson Webb/Netflix. Ⓒ 2022 Netflix, Inc.
「この映画をフィルムで撮影することは、私がこのプロジェクトに参加する前からノアとNetflixの間で決められていました。4Kで納品するということ以外には、使用フィルムやラボ、現像に関する規定はなかったと思います。私は敬意を払われ、フィルムを使って私たちが望む方法で映画を撮影する権限を与えられたと感じました」
「Netflixが、フォーマットの選択肢としてフィルムの使用を望んでいるフィルムメーカーや監督、作家をサポートしていることは賞賛に値することです。私はそれが、独特で視覚的に魅力的な作品の仕上げに役立っていると思います」
『ホワイト・ノイズ』
(Netflixで配信中)
製作年: 2022年
製作国: アメリカ
原 題: White Noise
公式サイト: https://www.whitenoise-jp.com/