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2024年 2月 9日 VOL.219

撮影監督ロビー・ライアンがコダック 35mm白黒およびカラーネガ、エクタクロームを駆使して表現した『哀れなるものたち』の鮮やかでムード溢れる映像美

『哀れなるものたち』のエマ・ストーンとマーク・ラファロ Photo by Atsushi Nishijima. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

「近年公開されたハリウッド発のコメディー映画の中で、視覚的に最も斬新でエネルギッシュな作品」と評されるヨルゴス・ランティモス監督の最新作『哀れなるものたち』。2024年の映画賞シーズンで有力候補として注目を集めることは間違いありません。

下品で口汚いアン女王を描いたランティモス監督作『女王陛下のお気に入り』(2018)でアカデミー賞撮影賞にノミネートされたロビー・ライアン(ISC、BSC)が今作でも撮影監督を務めています。ライアンがコダック 35mm白黒およびカラーネガフィルムとエクタクローム カラーリバーサルフィルムを駆使して臨んだのは、前回同様に強烈な歴史映画ですが、今度の時代設定はビクトリア朝時代のロンドンです。

『哀れなるものたち』は、2021年に再導入された映画用35mm エクタクロームフィルムで撮影され、かつE-6処方のリバーサル現像された初のメジャー作品です。また、『オッペンハイマー』(撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ(FSF NSC ASC))、『マエストロ その音楽と愛と』(撮影:マシュー・リバティーク(ASC))、『アステロイド・シティ』(撮影:ロバート・イェーマン(ASC))などの話題作と同じように、コダック 35mmカラーフィルムと白黒フィルムを併用して物語を紡いでいます。

『哀れなるものたち』のラミー・ユセフとウィレム・デフォー Photo by Yorgos Lanthimos. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーク・ラファロ、ラミー・ユセフらが出演する『哀れなるものたち』は、スコットランドを代表する画家・作家であるアラスター・グレイが1992年に書いた同名小説を、ランティモス監督がトニー・マクナマラとの共同脚本で映画化した作品です。

主人公の少女ベラ・バクスターは、彼女の保護者である風変わりな科学者ゴドウィン・バクスター博士の手で一旦死んだ状態から蘇生します。初めは無知で幼かったベラですが、口が巧い放蕩者のダンカン・ウェダバーン弁護士と駆け落ちして大陸横断の冒険旅行を始めてからは、熱心に世界を学んでいきます。自分探しと性的解放の旅を続けるうちに、ベラは時代の偏見から解き放たれ、自由と平等を信条に掲げて急成長していくのです。

エレメント・ピクチャーズ、TSGエンターテインメント、サーチライト・ピクチャーズにより共同製作された本作は、2023年のヴェネチア国際映画祭で演出、主要な俳優陣の演技、美術とともに、ライアンが手掛けた印象的な撮影も激賞され、名誉ある最高賞の金獅子賞に輝きました。また、ポーランドのトルンにて開催された2023年カメリメージ映画祭のオープニング作品にも選ばれています。

ヨルゴス・ランティモス監督作品『哀れなるものたち』の撮影現場にて、カメラを構える撮影監督 ロビー・ライアン(ISC、BSC) Photo by Atsushi Nishijima. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

自らの撮影プランに迷いが生じることを恐れて、あえて脚本の基となった小説を読まないという撮影監督もいますが、ライアンはグレイの原作を楽しんで読んだと語ります。自らの感性への影響について考えるよりも、小説に書かれている背景や詳細を掴んで、ゴシック調のおとぎ話として描かれるベラの肉体的・精神的な旅路を奇才ランティモス監督がどう捉えているかを理解する方が大事だとライアンは考えたのです。

「この物語はアラスター・グレイの素晴らしい原作小説に着想を得ていますが、ヨルゴスと脚本家のトニーの手で独自の世界観が作り上げられています」とライアンは解説します。「ヨルゴスから聞いた話ですが、確か10年くらい前、ヨルゴスがアラスター・グレイのところに出向き、この小説を映像化する権利について交渉したそうです。この企画はたまたまヨルゴスが手掛けることになったのではなく、彼が長い間、熱望してきたものなのです」

「映画の冒頭、死んだ女性を生き返らせるために胎児の脳を移植する場面から始まる脚本なんて通常では考えられません。ヨルゴスとトニーが組むとユーモラスな作品になるとわかっていたので、今回も性的、精神的な目覚めを多層的に描く野心作になるだろうと確信しました」

『哀れなるものたち』のエマ・ストーン Photo by Yorgos Lanthimos. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

「脚本を読んで、奇妙な物語を奇妙な語り口で描こうとしているのだなと思いました。現実をギュッと濃縮したようなセットは、ベラ・バクスターという少女の住む世界を、狂気を交えて独創的に表現していました」

「この物語を伝えるために絶対に必要だった唯一の方法は、何もかも初めて見たようにベラの世界を鮮明で色彩豊かに表現することでした。この視点に沿って、私たちは色調やフレーミングについての方針をすんなり決めることができました」

『哀れなるものたち』は、主にハンガリーの首都ブダペストにあるオリゴ・スタジオで、2021年8月に撮影されました。美術を担当したショーナ・ヒースとジェームズ・プライスはスタジオのステージ上に凝った室内セットを建て、さらに別の野外撮影用地にはパリとリスボンの街を作り上げました。

『哀れなるものたち』の撮影風景 Photo by Atsushi Nishijima. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

「ヨルゴスはフィルムでの映画撮影に強い思い入れがあるんです」とライアンは証言します。「幸いにも、私はこの15年でフィルムでの撮影を数多く経験してきました。機会があればいつも喜んでフィルムで撮影しています」

これまでにライアンがフィルムで撮った作品は数えきれません。アンドレア・アーノルド監督の『フィッシュ・タンク』(2009)と『ワザリング・ハイツ~嵐が丘~』(2011)、ノア・バームバック監督の『マイヤーウィッツ家の人々』(2017)と『マリッジ・ストーリー』(2019)、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)や『家族を想うとき』(2019)、『The Old Oak(原題)』(2023)他、『Catch Me Daddy(原題)』(2014/ダニエル・ウルフ監督)、『アイム・ノット・シリアルキラー』(2016/ビリー・オブライエン監督)など、いずれも35mmと16mmフィルムの両方、またはどちらかを使って撮影してきました。

「ヨルゴスから『哀れなるものたち』を35mmフィルムで撮りたいと聞いた時、私は舞い上がりました。と同時に、前作『女王陛下のお気に入り』で経験した通り、作品に対する彼のこだわりを理解して撮るのは大変だぞ、とも思いました」とライアンは述懐します。

『哀れなるものたち』のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーン Photo by Atsushi Nishijima. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

「ヨルゴスの作品すべてに独自の視点があります。ヨルゴスは『哀れなるものたち』を単なる歴史ドラマではなく、魅力的な登場人物たちが彼自身の世界観の中で躍動する物語として描こうとしていました。フィルムを使うこと、ズームレンズや広角レンズを用いること、滑らかにカメラを動かすこと、そのいずれもこの作品の視覚効果を構築する上で欠かせない要素だったのです」

それを念頭に置きつつ、ライアンはヨルゴスから渡された山のような参考資料を調べました。中でも重要だったのは、ズームレンズによる動きのある斬新な撮影技術と超現実的な映像描写で、メロドラマ全盛のハリウッドに新風を吹き込んだライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の作品群です。このほか、『そして船は行く』(1983/フェデリコ・フェリーニ監督、ジュゼッペ・ロトゥンノ撮影監督(AIC))の豪華客船のセットでの撮影や、『ドラキュラ』(1992/フランシス・フォード・コッポラ監督、ミヒャエル・バルハウス撮影監督(ASC))の小型模型を使った撮影手法や薄気味悪い雰囲気作りも参考になりました。

ランティモス監督と話し合いを重ねて大規模なテスト撮影を行った結果、ライアンはARRICAM LTとST の35mmフィルムカメラを選択、アスペクト比は1.66:1を採用しました。監督がズームを活かした映像作りを望んでいたことから、それを叶えられるレンズを取り揃えました。セットや俳優の表情を幻想的に捉えることができる超広角レンズや、ゴシック調のポートレートが撮れるビンテージレンズなどです。

『哀れなるものたち』を撮影するロビー・ライアン(ISC、BSC)  Photo by Atsushi Nishijima. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

今回使われたレンズには、ニコン、アンジェニューのオプティモ、ツァイスのマスターズーム、そしてT2まで開けることができる16mm/スーパー16撮影用に設計された超広角PLマウントのオプテックス 4mmフィッシュアイも含まれます。また、アンティークのペッツバール 58mmと85mmも一部で使用しています。

主要なカメラ機材を提供したのは、ブダペストのARRI RENTALです。同社の責任者であるエスター・ファラディーについて、ライアンは「知識が豊富で、頼りになった」と評価しています。ペッツバールのレンズは、英国のTrue Lens Service(TLS)から借りたものです。

「技術的に、物語を視覚で伝える上でこれほど多くのズームを組み込むことは自分にとって挑戦でした」とライアンは明かします。「ヨルゴスはありきたりな映像表現が大嫌いなんですよ。ですから私たちは、ドリーやクレーンを使うすべてのシーンでブロック撮りを行いました。例えば、ある人物のクローズアップから始めたら、大きくズームアウトして、それから別の人物に移る。そこに、超広角カットが入ることもありました。ツァイス マスターズーム 16.5-110mmレンズは、驚くほど大きいですが、35mmフィルムで撮る時に私たちが欲しいフレーミングを正確に実現できるシャープさと鮮明さを備えています。今回の現場では、このレンズが大活躍でした。多くのシーンではこのズームの技法がハマったのですが、ワイドを撮影する場合にうまくいかないこともありました」

『哀れなるものたち』の(左から)ラミー・ユセフ、エマ・ストーン、ビッキー・ペッパーダイン、 ウィレム・デフォー Photo by Atsushi Nishijima, Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

「一方、より奇妙な雰囲気を出したい時には、レンズをオプテックス 4mmに換えました。このレンズは16mm/スーパー16用に設計されているため、本来は今回のような35mmフィルム 4パーフォでの撮影には適していません。しかしこれを使うと、まるで異世界につながる丸窓のようにフレームの中心部分がくっきりと浮かび上がり、縁に向かって徐々に落ちていく見事なビネット効果が得られます。この画を、ヨルゴスがとても気に入っていました」

「オプテックス 4mmは『女王陛下のお気に入り』の撮影で使用した6mm PVレンズほど画像が膨らんだり曲がったりしませんが、被写界深度がとても深いので、レンズから数インチにある顔やモノから無限遠まで、フレームの中の被写体すべてに焦点を合わせることができます」

「ペッツバールのレンズは本当に綺麗です。エッジが極端で焦点がちょうど中心にあるので、まるで渦の中にいるような気分になり、ポートレート撮影に最適でした」

『哀れなるものたち』のウィレム・デフォー Photo by Yorgos Lanthimos. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

フィルムで臨場感を表現するのを好む他の映画監督と同様に、ランティモス監督は『哀れなるものたち』でもビスタビジョンカメラを一部で用いました。例えばベラが生き返る場面などです。35mmネガフィルムはカメラゲートで水平方向に置かれ、8パーフォのフレーム幅で1.66:1のアスペクト比が得られます。スタンダードの35mmフィルムの倍のネガサイズとなるので、よりディテールをもたらすというわけです。

冒頭のモノクロのシーンでは、ライアンはイーストマン ダブル-X 白黒ネガティブフィルム 5222を選択。ベラがダンカンと駆け落ちして冒険の旅に出るくだりではコダック エクタクローム カラーリバーサルフィルム 100D 5294を、そして作品の終局ではコダック VISION3 500T カラーネガティブフィルム 5219を選んでいます。

「ダブル-X 5222はコントラストも粒子感も素晴らしく、モノクロで撮る楽しさを味わえました」とライアンは振り返ります。「500Tは屋内外、昼夜を問わず使える汎用性が魅力です」

ヨルゴス・ランティモス監督作品『哀れなるものたち』でエマ・ストーンを撮影するロビー・ライアン(ISC、BSC) Photo by Atsushi Nishijima. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

「ヨルゴスは新しいことへの挑戦にいつも前向きで、エクタクロームが持つ広いダイナミックレンジから得られる濃密な色合いとコントラストを活かした映像を特に気に入っていました。実は私は、これほどの規模でエクタクロームを扱った経験があまりなかったので、適正に露光するまで少々手こずりました。試行錯誤するうちに、現像所で増減感するのは必ずしも正しいことではなく、好みのルック(映像の見た目)を得るには現場の照明できちんと調整したほうが良いことわかりました」

ダブル-X 5222と500T 5219で撮った素材の現像は、ブダペストにあるハンガリアン フィルムラボ(Magyar Film Labor)が担当しました。シネグレル ポストの進行管理のもと、撮影されたエクタクロームフィルムはシネグレル ベルリンでE-6処方により現像されました。

エクタクロームをE-6処方で現像するとポジ像になります。この現像処理は温度変化に非常に敏感で、常にしっかりと監視する必要があります。露光したエクタクロームを第一現像液に浸けると、フィルムの各層にネガの銀像が表れます。続く反転浴で、ポジの銀像を形成する発色現像の準備をします。その後、漂白や最終定着と各段階の間で水洗があり、最後にファイナルリンスと乾燥を行って完了です。

『哀れなるものたち』のエマ・ストーン Photo by Yorgos Lanthimos. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

「担当のルートヴィヒ・ドレイザーが非常によくやってくれたので、シネグレルから戻ってくる納品物を見るのが本当に楽しみでした」とライアンは言います。「エクタクロームで撮った映像は、これまで使ったことのあるデイライト、タングステンタイプの映画用フィルムでは見たことがない色の彩度とコントラストを持っていました」

「色は魅力的で豊かで鮮やかで、画面から反射する鮮やかな赤のように見えますが、決してアニメーションのようには見えませんでした。黒色は濃く締まっており、人物の肌の色はありのままに映し出されていました。この素晴らしい色彩が大胆なセットや衣裳が醸し出す異世界の雰囲気を引き立たせ、主人公ベラのファンタジックな冒険を視覚的に表現するうえで大きな役割を果たしていました。ヨルゴス監督は、エクタクロームの映像に非常に満足していましたよ」

ロンドンのシネラボにより全種類のフィルムの4Kスキャンとフィルムプリントの制作が完了しました。DIのグレーディングを担当したのは、ロンドンのCompany 3社のカラリスト、グレッグ・フィッシャーです。ライアンによると「彼は、ヨルゴスと私が求めたルックに完璧に調整してくれました。すべての工程を通して真摯に粘り強く作業してくれた真の同志です」と評しています。

『哀れなるものたち』のエマ・ストーン Photo by Yorgos Lanthimos. Courtesy of Searchlight Pictures. Ⓒ 2023 Searchlight Pictures. All rights reserved.

1台で撮っている時はライアンがカメラの操作を行い、第1アシスタントカメラのオルガ・エイブラムソン、第2アシスタントカメラのクリスティーナ・クレトゥ、撮影部見習いのアーミン・シラジーがライアンをサポートしました。グリップチームを束ねたのはアッティラ・スュッチです。

ライアンにとって最大の課題は、これまで他の撮影でやってきたより多くのLEDの灯具を使って、今回のように規模が大きくて凝ったセットに照明を構築・調整することだったと言います。しかし、照明担当のアンディー・コールの助力で乗り越えることができました。

ライアンは最後にこう締めくくります。「『哀れなるものたち』がストーリーテリングの手段としてフィルムを使った作品であり、善戦を続けていることを嬉しく思います。ヨルゴスと仕事をすると毎日が学びの連続です。彼は限界を超えて挑戦することを好み、時には過激なこともします。彼のような映画監督はめったにいないですし、好き嫌いはあるかもしれないですが、常に斬新で面白い映像を求めて映画作りをしている人だと言えます。彼は映画のセンスが素晴らしく、幅広い知識を持っています。そしてその能力を十分に発揮して、新鮮で奇抜で美しい『哀れなるものたち』の世界観を作り上げました。ヨルゴスが撮影現場で作り上げた楽しさと熱意は、しっかりとスクリーンに映し出されています」

(2023年11月29日発信 Kodakウェブサイトより)

『哀れなるものたち』

 (1月26日より全国公開中)

 製作年: 2023年

 製作国: ​イギリス

 原 題: Poor Things

 配 給: ディズニー

​ 公式サイト:  https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings

予告篇
​特別メイキング映像
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