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2024年 7月 18日 VOL.228

撮影監督 マシュー・リバティークがコダック 35mm白黒およびカラーフィルムで撮影したレナード・バーンスタインの伝記映画『マエストロ:その音楽と愛と』

『マエストロ:その音楽と愛と』でレナード・バーンスタイン役を演じたブラッドリー・クーパー(監督・脚本・プロデューサー) Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

白黒とカラーのコダック 35mmフィルムで撮影され、複数のアスペクト比で構成された『マエストロ:その音楽と愛と』は、有名なアメリカの作曲家であり指揮者であるレナード・バーンスタインを描いた作品ですが、単なる伝記映画ではありません。

この視覚的にも聴覚的にもインパクトのある狂想劇は、スポットライトの裏側のバーンスタインを真正面から映し出します。同時に、女優のフェリシア・モンテアレグレとの複雑な結婚生活とバーンスタインの派手な男性関係が、何十年にもわたって、彼の音楽に対する飽くなき創造性と情熱をいかに育んできたのか、喜びと苦悩の両面から深く描いています。

本作は、ブラッドリー・クーパーがジョシュ・シンガーと共同で執筆した脚本をもとに監督しました。クーパーは主役のバースタインを演じ、キャリー・マリガンがフェリシア役を、マット・ボマー、マヤ・ホーク、サラ・シルヴァーマンが脇役を演じています。また、クーパーはスティーヴン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシと共に本作のプロデューサーも務めました。

『マエストロ:その音楽と愛と』は2023年のヴェネチア国際映画祭で初公開され、その後、他の有名な映画祭でも上映されました。2023年12月にNetflixで配信が始まる前には、一部劇場で先行上映も行われました。

『マエストロ:その音楽と愛と』より、レナード・バーンスタイン役を演じたブラッドリー・クーパー(左)とフェリシア・モンテアレグレ役のキャリー・マリガン Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

本作は、主要な俳優陣の演技に対する称賛とバーンスタインの才能および功績に対する大きな賛辞と共に、2024年のアカデミー賞7部門を含む数多くの映画賞にノミネートされました。また、驚くほど想像力豊かな撮影を行ったマシュー・リバティーク (ASC 、LPS)は、名誉あるオスカー(アカデミー賞)をはじめ、英国アカデミー賞、アメリカ撮影監督協会(ASC)賞、イギリス撮影監督協会(BSC)賞にノミネートされました。

リバティークは、ジョン・ファヴロー、スパイク・リー、ジョエル・シューマカー、ダーレン・アロノフスキーといった著名な監督とのコラボレーションで知られています。フィルム撮影にも精通しており、『π』(1998)、『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)、『ファウンテン 永遠につづく愛』(2006)、『アイアンマン』(2008)、『ブラック・スワン』(2010)、『アイアンマン2』(2010)、『ノア 約束の舟』(2014)、『マザー!』(2017)など、16mmや35mmの撮影を多く手掛けてきました。

リバティークにとって『マエストロ:その音楽と愛と』は、『アリー/スター誕生』(2018)に続いてクーパーとの2度目の輝かしいコラボレーション作品です。そして『ブラック・スワン』『アリー/スター誕生』に続き、3度目のアカデミー賞ノミネート作品となりました。

リバティークは、クーパーから『マエストロ:その音楽と愛と』の前身となるプロジェクトについて初めて聞いたのは、『アリー/スター誕生』の制作時だったと明かします。

『マエストロ:その音楽と愛と』の撮影現場にて、ブラッドリー・クーパー(左)と撮影監督 マシュー・リバティーク Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

「バーンスタインの代表作や偉大さは知っていましたが、舞台上の輝かしい姿以外の私生活についてはほとんど知りませんでした」とリバティークは言います。「当初この映画は指揮者・作曲家としてのバーンスタインを描くものだと思っていましたが、間もなく、これは既婚男性としてのバーンスタインの物語であり、彼だけでなくフェリシアの物語でもあると分かりました」

「私はこの作品のテーマを掘り下げ、視覚的に伝える方法を練ることにとてもワクワクしました。ブラッドリーと私はかなり早い段階から撮影について相談を始め、フォーマットやフレーミング、アスペクト比、作品全体の美意識について考えていました」

リバティークは、制作にあたって他の映画を参考にすることはなかったものの、バーンスタインの生涯と時代の様子が収められた数々のスチール写真やフィルム、ビデオから創作のインスピレーションを得て、リアリティのある照明を学んだと言います。また、彼はスチール写真家のエリオット・アーウィットによる自然な作風のスナップ写真に学び、クーパーの脚本にある指示や監督としての手法にも影響を受けたそうです。

「ブラッドリーはレンズに詳しく、カメラを使って最大限にパフォーマンスを引き出す方法を知っています」とリバティークは述べます。「脚本はすばらしい出来栄えで、様々なショットや、シーンの節目や感情に応じてカメラを動かしたり動かさなかったりすることについて簡潔な注釈が書かれていました」

『マエストロ:その音楽と愛と』の1シーン Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

リバティークは例として、いくつかの印象的なシーンを挙げています。その1つが本作のオープニングで、ニューヨーク・フィルハーモニックをカーネギー・ホールの舞台で指揮するという大きなチャンスをつかもうと、アパートから飛び出す若きバーンスタインを上からカメラが追う場面です。また、1973年にイギリスのイーリー大聖堂でバーンスタインが指揮したマーラーの交響曲第2番「復活」を迫真的に再現するシーンもそうです。カメラはオーケストラの上を移動し、バーンスタインの周りを回り込みながら、舞台袖に立つフェリシアを映し出します。

一方、感動的なシーンのいくつかはカメラの動きが控えめです。例えば、末期ガンによって人生が終わりに近づいているフェリシアが、悲しみに暮れるバーンスタインに介護されているシーンではカメラのフレームはほぼ固定されています。

『マエストロ:その音楽と愛と』を35mmフィルムで撮影することは、制作のテスト段階で決まったとリバティークは言います。

「ブラッドリーがこの映画に対して情熱を持っていることは疑いの余地がなく、彼はどのようにレナード・バーンスタインに変身できるか考えていました。ブラッドリーにフルメイクを施し、フィルムとデジタル、様々なレンズやフォーマット、カラーと白黒で何度もテスト撮影を行い、最終的にフィルムとデジタルを組み合わせて撮影する予定でした」

『マエストロ:その音楽と愛と』より、レナード・バーンスタイン役のブラッドリー・クーパー(左)とフェリシア・モンテアレグレ役のキャリー・マリガン Ⓒ2023 Netflix.

「しかし、フェリシアが出演中の劇場にレナードを連れていくシーンをテストした時、この映画はフィルムのみで撮影しなくてはならないと思いました。私たちは舞台を1つのライトで照らし、35mmの白黒で撮影したのですが、そのシーンの質感とムードにブラッドリーも私もすっかり心を奪われ、彼はこの映画をすべてフィルムで撮影しようと提案したのです」

撮影は2022年5月から始まり、マサチューセッツ州西部のバークシャー・ヒルズにある有名なコンサート会場タングルウッドと、バーンスタインの故郷であるコネチカット州フェアフィールドで行われました。「すばらしい場所で、今でもバーンスタインのエネルギーを感じることができます」とリバティークは言います。

ニューヨーク市内では、マンハッタンのミッドタウンにあるカーネギー・ホール、オフ・ブロードウェイのセント・ジェームズ劇場、マンハッタンのアッパーウエストサイドにあるリンカーン・センターなどがロケ地になりました。イギリスのイーリー大聖堂でも2日間撮影が行われ、ロンドン交響楽団が集まって「復活」を撮影しました。 バーンスタインの複数の自宅セットは別々の撮影プレートから特別に作られた背景を使い、ブルックリンのシュタイナー・スタジオの舞台の上に組み立てられたものです。

『マエストロ:その音楽と愛と』の前半は、バーンスタインがクラシック音楽界を華々しく駆け上がったこと、フェリシアとの間に芽生えた恋、デヴィッド・オッペンハイムとの秘密の関係に焦点を当て、白黒フィルムを用いて1.33:1のアスペクト比で撮影されています。これは、若き日のバーンスタインの活力に満ちた見事な仕事を、昔のハリウッドのトーキー映画の華やかさの中に収めたいというクーパーの願いをかなえるものでした。

『マエストロ:その音楽と愛と』の撮影監督 マシュー・リバティーク Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

カラーフィルムに切り替わるタイミングは、バーンスタインとフェリシアの関係性のダイナミックな変化を示すための自然な表現だとリバティークは言います。バーンスタインがバイセクシュアルであることをフェリシアが知り、夫婦仲が険悪になったにもかかわらず、その後の彼の仕事の成功と2人を取り巻く温かい家族愛を描いているのです。フェリシアが亡くなった後のシーンでは、アスペクト比を1.85:1に変更してフレーミングに余白を持たせています。生前のフェリシアが予言していたように、バーンスタインの晩年の孤独感を想起させるためです。

リバティークは、パナビジョンのミレニアムXL2 35mmという軽量のシンク・サウンドのフィルムカメラに、主にPVintageシリーズのレンズを装着して本作を撮影しました。ガイ・マクヴィッカーとパナビジョンのレンズチームのサポートのもと、レンズのシャープネスを特別に調整し、映像に柔らかさと穏やかなハレーションをもたらしました。彼はまた、ツァイスのスーパースピードMKIIレンズを使って特定のシーンでフレアを強調したり、パナビジョン・プリモプライムレンズを使って様々な焦点距離に対応できるようにしました。カメラとレンズ一式はパナビジョン・ニューヨークによって提供されたものです。

白黒のシーンはすべて35mmのイーストマン ダブル-X ネガティブフィルム 5222で撮影しています。カラーの部分はコダック VISION3シリーズで撮影し、日中の屋内外のシーンでは35mmのコダック VISION3 200T カラーネガティブフィルム 5213を、夜間や低照度のシーンでは500T 5219を使用。フィルムの現像、デイリー、4Kスキャンはロサンゼルスのフォトケムで、同社の制作サービスディレクターであるマーク・ヴァン・ホーンの監督のもとで行われました。最終のカラーグレードはロサンゼルスのカンパニー・スリー社で、シニア・カラリストのステファン・ソネンフェルドが仕上げました。

「白黒のダブル-X 5222はコントラストが強く、トーンが繊細で美しいのですが、適切な露出を得るためには思っていたよりも多くの光が必要だとテストの段階ですぐに気がつきました。デジタル撮影ではソフトなLEDライトを使って光を反射させたり、非常に低い光量で撮影したりしてきましたが、まるで正反対だったのです」とリバティークは説明します。

『マエストロ:その音楽と愛と』より、レナード・バーンスタイン役のブラッドリー・クーパー(左)とフェリシア・モンテアレグレ役のキャリー・マリガン Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

「つまり、映画の白黒シーンにおいて十分な露出を得るためには、はるかに多くの光量が必要でした。そこで5K、10K、20Kの古いタングステン照明と、手袋をしないと動かせないような大きな照明を使うことにしました。表面からのバウンスではなく、拡散を利用して光を広げることで望み通りの結果が得られるようになったのです。また、ダブル-X 5222で撮影する場合、カメラに黒く酸化皮膜処理がされたプレッシャープレートが使われていないと入射した光を反射し、ネガに線が入ってしまうことが分かりました。そのため、カメラを改造する必要がありました」

本作のカラー部分の撮影についてリバティークはこう述べています。「コダックの昼光フィルムは使いませんでした。コダクロームのようなノスタルジックな質感を求めていたからです。2つのタングステンフィルムは、その粒子と質感が作品にピッタリで、ケヴィン・トンプソンによるプロダクションデザインとマーク・ブリッジスによる衣装の色とよく馴染むだろうと分かっていました」

「旧世代のVISION2 200T 5217をISO感度400で撮影した際、色再現がとてもよかったことを覚えていました。再び試してみたところ、露光アンダーでの撮影は、私たちが求めていたノスタルジックな質感を際立たせる上で非常に効果的だったと思います」

この映画の制作には主に2つのカメラが使われました。リバティークが自ら手持ちのシーンの数々を撮影し、スコット・サカモトがAカメラのメインオペレーターを務め、オレリア・ウィンボーンがフォーカスプラーとしてサポート。Bカメラの担当はコリン・アンダーソンで、ティム・メティヴィエがサポートしました。ケヴィン・ロウリーがグリップチームのリーダーを務め、アメリカ撮影でのガファーはジョン・ヴェレス(ICLS)が、イギリス撮影でのガファーはペリー・エヴァンスが担当しました。

『マエストロ:その音楽と愛と』の撮影現場にて Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

『マエストロ:その音楽と愛と』は想像力に富んだ、斬新かつ大胆奔放な撮影方法で注目されていますが、リバティークはクーパーの創造的な構想に従っただけだと謙虚に語ります。

「ブラッドリーは、俳優としても映画監督としても最高のモチベーションを与えてくれます。カメラワークや照明の意味を熟知しているからです。彼は常に新鮮なアイデアを持っていて、レンズの使い方やカメラの動かし方、照明の当て方など自由自在です」

「例えば、舞台袖に立つフェリシアが指揮をするレナードの巨大な影に包まれてとても小さく見える場面は、ブラッドリーが2人の関係の本質を美しいメタファーで表現したものです。私の映像は斬新だとか大胆だとか独創的だとか言われますが、ブラッドリーの構想に応えたものに過ぎません」

「強いて言うならば、私の哲学は役者のためにセットをできるだけ開放的に保ち、場面ごとの瞬間の雰囲気や感情に応じてカメラを柔軟に動かすことでした。結果的に多くの課題が生まれ、不安も絶えませんでした」

『マエストロ:その音楽と愛と』の撮影現場にて Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

リバティークは、若きバーンスタインがカーネギー・ホールに入場するドラマティックな場面において、Libraのヘッドを付けたスコーピオ45'クレーンと頭上にケーブルカメラを設置・調整して、動きを付ける上で懸念があったことを告白しています。さらにブロードウェイ・ミュージカル『オン・ザ・タウン』に登場するバレエ「ファンシー・フリー」をクーパーが躍る場面の撮影にも不安があったと言います。

「あのシーンにはショットリストもストーリーボードもなく、4日間にわたって時系列順に撮影しました」とリバティークは説明します。「照明とカメラを駆使して、ブラッドリーが思い描いているものを最後まで探求することが重要でした。それは多くの人々の努力の結晶であり、私にとって特に大変だった撮影の1つです。でも頑張った甲斐がありました」

イーリー大聖堂の広い空間で、バーンスタインが交響曲「復活」を指揮するシーンを撮影する際も不安がなかったわけではありません。

「現地入りしたのは撮影の数日前でした。ブラッドリーと私はカメラと複数のレンズを持って歩き回りながら、撮影の構図や位置、タイミングを検討しました。カメラがオーケストラの上を移動し、音楽が絶頂に達した時、レナードのドラマティックなミディアムショットに移った後、回り込むようにフェリシアを映し出すのです」

『マエストロ:その音楽と愛と』の撮影現場にて Photo by Jason McDonald/Netflix Ⓒ 2023.

「照明の準備をしている間、ロンドン交響楽団がリハーサルをしていました。そこでスタッフ全員で作業を中断し、私は前列の席に座って鑑賞したんです。その空間の素晴らしい音響に魅了され、目の前にいる音楽家たちの芸術性に息をのみました。このすべてを視覚的に捉えなければならないと思うと畏怖の念すら抱きました」

「ISO感度500のカラーフィルムで撮っていたことと、ガファーのペリー・エヴァンスがこの空間で仕事をしたことがあったことは幸運でした。私たちは2つのバルーンライトを用意し、舞台袖には様々なタングステン照明を設置しました。また、既存の照明装置にスカイパネルのS60を複数取りつけ、大聖堂の圧倒的な大きさを表現しました。撮影のタイミングは完璧で、不安はあったものの、仕上がりにはとても満足しています。すばらしいシーンになりました」

『マエストロ:その音楽と愛と』の撮影について、リバティークはこう振り返ります。「ブラッドリーの構想をスクリーンに映し出すために、たくさんの挑戦をしました。撮影中は楽しいと思えることが少なかったものの、今は喜びでいっぱいです」

35mmでの撮影についてはこう語ります。「私はフィルム撮影の工程がとても好きで、仕上がりをいつも楽しんでいます。フィルムで撮影する方がデジタルよりも簡単です。デジタルでは多くの付加的な技術が邪魔になることもあります。フィルムの方がはるかに合理化されています。また、撮影した映像に対して多くの人が意見することができるデジタルと違って、フィルムは映像をコントロールできる人が限られているので、親密でパーソナルな撮影になります。私たちみんなで作り上げた作品にとても満足しています」

(英語原文:2024年2月23日発信 Kodakウェブサイトより)

『マエストロ:その音楽と愛と』

 (Netflixで配信中)

 製作年: 2023年

 製作国: ​アメリカ

 原 題: Maestro

 配 信: Netflix

​ 公式サイト:  https://www.netflix.com/jp/title/81171868

予告篇
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