2024年 7月 26日 VOL.230
近浦啓監督作品『大いなる不在』
― 撮影監督 山崎裕氏インタビュー
Ⓒ 2023 クレイテプス
長編デビュー作『コンプリシティ/優しい共犯』(2018)がトロント、ベルリン、釜山などの国際映画祭に招待され高い評価を得た近浦啓監督が、森山未來、真木よう子、原日出子、藤竜也らの実力派キャストを迎えて贈るヒューマンサスペンス。第71回サン・セバスチャン国際映画祭のコンペティション部門で藤竜也がシルバー・シェル賞(最優秀俳優賞)を受賞。第67回サンフランシスコ国際映画祭では最高賞のグローバル・ビジョンアワードを受賞。デビュー作でもタッグを組んだ名撮影監督の山崎裕氏が全編35mmフィルムで撮影した本作が遂に劇場で公開されます。
今号では、撮影を担当された山崎裕氏にフィルムでの撮影や現場についてお話などをお伺いしました。
35mmフィルム撮影を選択された理由についてお聞かせください。
山崎C:今回は、まず近浦啓監督がどうしてもフィルムで撮りたいと望まれたのが一番の理由です。監督の第1作目の『コンプリシティ/優しい共犯』(2018)はデジタル撮影でしたが、その後第2作目も一緒にやりたいと依頼を受けました。その時にぜひ次回作は35mmでやってくださいとお願いされたのがきっかけです。監督には35mmフィルム撮影への憧れがあって、特にハリウッドとかヨーロッパ映画などフィルムで捉えた昔の映画を多く観られているわけで、その質感にやっぱり映画というのはフィルム撮影だという憧れがあり、次回作は35mmでトライしたいので協力してくださいという流れになりました。そこで、コダックとIMAGICAエンタテインメントメディアサービスが実施している「劇映画フィルム製作支援パッケージ」を利用するのが良いというアドバイスをしました。
近浦啓監督とご一緒されたきっかけを教えてください。
山崎C:2016年の奈良国際映画祭で藤竜也さん主演の『東の狼』(2018)という作品がオープニング上映された際に、近浦監督も長編映画の企画についてのワークショップに参加していた関係で会場にいらしていて、その時に紹介されました。若い監督ですということで挨拶だけだったのですが、その2ヶ月後ぐらいにSNSを通じて連絡があり、お仕事のことで相談したいということで改めてお会いして、長編デビュー作となる『コンプリシティ/優しい共犯』の撮影を依頼されました。その内容が中国人の技能研修生に対する色々な問題に関する話だったのですが、私もその問題についてはドキュメンタリーで取り扱いたいと思っていたテーマだったので、すぐに参加することを決めました。もともと監督も私のことを是枝裕和監督や河瀬直美監督の作品を通して知っていたこともあり、興味を持ってもらっていた背景もあります。『大いなる不在』は、監督ご自身と父親との実体験をもとにサスペンス要素を混じえたフィクション作品で、脚本は前作で助監督だった熊野圭太氏と短い時間で一気に書き上げられました。実体験が着想のきっかけではありますが、物語自体はフィクションです。
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今回、照明も撮影部が担当されたのですね?
山崎C:約束の通り、当然35mm撮影でやるよねと確認したのですが、周りのスタッフからネガティブな意見が出てきて、デジタル撮影にするか監督も少し悩んだようです。演出部からはフィルムだと照明の機材や人材が多く必要になるなんていう既成概念の話まで出てきたようです。監督の父親の住んでいた家をロケセットで使うこともあって、なるべくスタッフは少数にしたいと考えていたのと、脚本の内容から、大規模なナイトオープンはなく、ナイトシーンもロケセットの室内でのシーンが多いので、照明部はなしで撮影部だけでやりましょうという話になりました。必要なのは昼間、天気の悪い時の外からの流し込みとかその程度だったため、撮影部だけで照明を組めると思い提案しました。私自身が『誰も知らない』(2004)でも照明部なしで撮影していますし、ドキュメンタリー撮影の照明は自分で決めていますから特に問題はなかったです。35mm撮影は私も久しぶりで、CMをのぞいては『海よりもまだ深く』(2016)以来になります。
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近浦監督とご一緒される2作目として、前作と違った点などはございましたか?
山崎C:『コンプリシティ/優しい共犯』の撮影については、ほとんど私に任せていただいた作品だったと思います。今までの他の監督たちと培ってきた方法や、ドキュメンタリーの手法など、私のベースにある撮影のやり方を大事にしていただいきました。今回はその方法を監督自らが変えたかったのだと思います。監督は、今回の映画についてはハリウッド映画のような商業的に成立するしっかりとした方向で、芸術系の映画のようなものにはしたくなかったのだと思います。良質なハリウッド作品が持っているスケール感ですとか、そういった重量感がある作品にしたいとおっしゃってそれを目指しました。だから35mm撮影を選択したとも言えます。基本的には手持ちを使用しないでフィックスで撮っていく手法を選びましたし、前作と違って近浦イズムがメインにあり、私が寄り添う感じで撮影していきました。
撮影で特に意識された点はございますか?
山崎C:少しネタばれになりますが、認知症の父親とその息子との関係性の映画なので、会話はオーソドックスなカット割りよりも、少しだけ違和感を与えるようなカット割りを意識していました。認知症の父親が突然突飛な話題をしてくるシーンなど、対等なカット割りでの描写ではなく、どこか観客に違和感を与えるようなカット割りを監督と相談して探っていった現場でした。意図的ではあるのですが、やり過ぎた感じではなく、監督が表現したい雰囲気をどこまで表現できるかを考えていく非常に刺激的な撮影だったと思います。
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撮影期間と場所を教えて下さい。
山崎C:撮影は2022年3月の1ヶ月間です。メインのロケ地は監督の父親の家があった北九州で、東京1日と熊本4日で撮影しました。ちょうどコロナ禍だったので、助手が感染して、なかなか現場に合流できなかったことを覚えています。
フィルムはVISION3 500T 5219のワンタイプのみでした。
山崎C:基本的に、コダックのVISION3 500T 5219しか映画では使用しません。以前は競合他社のフィルムもありましたが、『花よりもなほ』(2006)でコダックの500Tを使用して以来、ずっと35mmでは5219、16mmでは7219を使用しています。コダックのフィルムは少しだけYが入ってきて、中間から暗部にかけての表現力があり、色に重厚感があると思います。映画を撮影するときは基本的にフィルムタイプを変えません。500Tだけでどのシーンでも撮影していきます。私は、フィルムは原稿用紙のようなものだと捉えているので、デイやナイトでフィルムタイプを変えると、画の質感や粒子感が変わってしまって映画の世界観も変わってしまうと思います。
撮影機材、レンズの種類、またアスペクト比はどのように決められましたか?
山崎C:キャメラはARRICAM LTの3パーフォレーションです。ネガフィルムの使用量を25%削減する目的で3パーフォレーションを選択しました。現像量も削減できますし、経済的な理由です。アスペクト比は1.85ビスタです。レンズはARRI ULTRA PRIMEで、私は35mm撮影の時は必ず使用しています。使い勝手が良いレンズで、65mmと40mmを多用しています。特にロケセットの時に便利で、同じ距離感でレンズを交換するだけでサイズがこちらの意図を反映して変えることが可能です。
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照明はどのように決めていかれましたか?
山崎C:照明についてはチーフの萬代有香君と決めていて、それほど大きな照明機材は必要ない現場だったので、小さい照明器具を5台ぐらい持っていきました。私は、ワンカットのための照明作りということをしないので、撮影するシーンの部屋の中の照明をまず設定して基本的なキーライトを設置したら、あとは微調整して撮影していきます。ですので、明るいところは明るいし、暗いところはそのまま暗いという感じです。カットに合わせて照明全体を変えていくということはしません。フォーカスマンは高橋直樹君がいるのでキャメラ周りは彼に任せておけば問題ありませんから、チーフの萬代君が一番大変だったと思います。なぜなら、初めはフィルムを触れる助手が萬代君しかいなかった状況でチーフと照明をやらなくてはいけない現場でしたから。助手たちは大変でしたが、藤竜也さんと森山未來さんの演技を間近で観られることは本当に何も言うことはないですね。撮らしていただいているという感覚でした。
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監督の演出法と撮影の進め方についてはいかがでしたか?
山崎C:監督はそこまで細かい演技の要求はしていなかったです。テイクもそれほど重ねたシーンはなかったですし、段取りが決まればキャメラを設置してどんどん進んでいく現場でした。NGなんてほとんど出ないので、キャメラのアングルをどうしていくかを相談し合って決めていく現場だったと思います。監督のイメージを察して現場を作っていけば、それに合っていればどんどん進むし、少しイメージとズレがあれば止めて修正していくという感じです。芝居をどの距離感でどういったカメラアングルで撮影していくかをメインに演出をしていく現場でした。
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特に印象に残っている現場のお話はございますか?
山崎C:本編の本筋とは関係がない、ある演技のワークショップのシーンがあるのですが、監督と森山未來さんがそのワークショップの内容について色々と議論を重ねていて、なかなか方向性が決まらなかったシーンがありました。監督からそのシーンをドキュメンタリーとして35mmで1日かけて撮影できないかという提案がありました。カット割りができないシーンの撮影です。ずっと長回しなので、そこだけデジタル撮影にする案も出たのですが、チーフの萬代君が心配性で、かなり余分に生フィルムを準備していたこともあり、結局35mmで撮影することになりました。
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1000ftマガジンの手持ちもありましたね?
山崎C:実はキャメラのバランスは1000ftの方が400ftより持ちやすくて良いんです。齢81歳を超えてから、10時間以上、朝から晩までキャメラを担いで撮影しました。その撮影にはコロナになってしまった助手も合流していて、フィルムのローディングだけでかなり鍛えられたと思います。撮影が終わってから東京に戻ってきたのですが、いつもの感じより身体に疲労感があったのはそのせいでしたね。すごく刺激的な経験でした。
リファレンスとされた作品はありましたか?
山崎C:監督からイン前に観ておいて欲しいと言われた映画がありました。ロバート・レッドフォード主演の『さらば愛しきアウトロー』(2018)です。スマートな銀行強盗の話なのですが、監督が求めるハリウッド的な世界感とフィルム撮影の発色が印象的な作品です。作風は全然違いますが、『大いなる不在』もサスペンス的な要素があるので、そのあたりをリファレンスとして観て欲しいと言われたのだと思います。
『大いなる不在』の冒頭のシーンは印象的です。
山崎C:監督がやりたかったシーンですね。本物の元警察の方が現場に来て意見を取り入れながら撮影しています。取材もしていますし、現実にもし事件が発生した場合は、機動隊はあのシーンのように、ダミーの車の後に隠れて現場に向かうので、映画でもその描写を取り入れています。
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仕上げのワークフローについて教えてください。
山崎C:現像はIMAGICAエンタテインメントメディアサービスで、ノーマル現像です。35mm のネガからのダイレクトスキャンでCine Vivo®で4Kスキャンしています。
グレーディングはどのように進めていかれましたか?
山崎C:普段は個人的な好みで多少色を抑え目にして少しサチュレーションを下げたりして、あまり派手に色が出ないようにしているのですが、今回はある程度色は出していく方向性で監督と決めていて、自分が調整した画に対して監督の意見を加えて修正していきました。35mmの画はやはり重量感があります。カラリストは森誠二郎さんです。仕上がりについては監督も納得していますし、監督が目指した良質なエンターテインメントの映画が持っている画に仕上がっていると思います。同じのジャンルの映画と比較しても技術的に遜色のない画になっていると思います。実際にニューヨークでも劇場公開されますし、海外のイベントに監督も呼ばれたりしています。
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フィルムで撮影して良かった点を教えてください。
山崎C:やはりフィルムの持っているあの独特の質感と35mmの重量感というものが、この映画に必要な匂いというか、表現したい内容にマッチしていて、それを成果として表現できたことだと思います。35mmで撮った映像の持っている力が、監督の脚本の方向性に結果的にマッチしていたと思います。決してデジタル撮影がダメとかそういうことではなくて、やはり35mmで撮影できて良かったと思いますし、今後もチャンスがあればフィルム撮影はしていきたいです。予算的な話では、デジタル撮影でも機材やレンズなどハイエンドなものを揃えると機材費も膨らみますし、フィルムの機材の方が経済的な面もあります。16mmの場合は更に抑えられたりします。あとはネガフィルムの使用量をある程度コントロールすることができれば、今後も選択可能だと思っています。フィルム撮影は残していきたいです。
(インタビュー:2024年6月)
PROFILE
山崎裕
やまざき ゆたか
1940年東京都生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、1964年に中村正義監修・小川益夫監督『浮世絵肉筆 日本の華』でキャメラマンとしてデビュー。その後、数々のテレビドキュメンタリー、ドラマ、記録映画の撮影を担当。1998年に『ワンダフルライフ』で初めての劇映画を撮影以降、是枝裕和監督、河瀬直美監督、西川美和監督など、日本を代表する監督の多くの劇映画作品で撮影を担当する。2009年の『Torsoトルソ』では撮影のみならず監督・脚本も務める。
撮影情報 (敬称略)
『大いなる不在』
監督 : 近浦啓
撮影監督 : 山崎裕
チーフ : 萬代有香
セカンド : 高橋直樹
サード : 髙原柚佳
カラリスト: 森誠二郎(IMAGICA)
キャメラ : ARRICAM LT(3パーフォ)
レンズ : ARRI ULTRA PRIME / Angenieux HR 25-250mm
フィルム : コダック VISION3 500T 5219
現像・スキャン: IMAGICAエンタテインメントメディアサービス
製作・制作プロダクション: クレイテプス
配給 : ギャガ
公式サイト: https://gaga.ne.jp/greatabsence/
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