2025年 1月 10日 VOL.240
スティーヴ・マックイーン監督の野心的なドキュメンタリー『占領都市』を撮影したオランダのシネマトグラファー、レナート・ヒレッジが抱いた特別な責任感
ナチス占領下のアムステルダムを探索する当初の計画は、「従うべき厳格なルールはなく、かなり自由」なもので、ヒレッジはいまだに「最終的にドキュメンタリーになるのかアートになるのか、確信が持てない」でいる。
レナート・ヒレッジ(NSC)は、すぐに理解できないような作品に魅力を感じます。「そのような考え方や映画作りを取り入れる監督に出会うことはまれですが、この映画は非常にユニークでした。かなりの超大作で長期にわたるコミットメントが必要でしたが、最終的にどんな映画に仕上がるかということも完全には分かっていませんでした。それは幸せなことだと思います。一生のうち、このような作品に何回出会えるでしょうか?」
オランダのシネマトグラファー、ヒレッジは、スティーヴ・マックイーン監督の野心的で長大な『占領都市』を撮影した「特別な映画制作体験」を振り返ります。このドキュメンタリーは、マックイーン監督の妻であり、本作の共同プロデューサーでもあるオランダの歴史家・映画制作者のビアンカ・スティグターが執筆した図鑑『Atlas of an Occupied City (Amsterdam 1940-1945)』にインスパイアされた作品です。
劇場公開作品『占領都市』を制作するため、撮影クルーは本に掲載された2000ヶ所を超える場所を訪れ、記録された映像を編集し、マックイーン監督(『それでも夜は明ける』、『SHAME -シェイム-』、『HUNGER/ハンガー』)もまた、撮影された36時間分のフィルムを使って、インスタレーションに基づく作品を作ることを企画していました。アムステルダムの過去と現在を描いた、この266分の長大なドキュメンタリー作品は、アーカイブ映像や有識者のインタビューを組み入れるのではなく、第二次世界大戦中のショッキングな残虐行為をつぶさに伝えるメラニー・ハイアムズの静かなナレーションが、現代の映画的なドキュメンタリー映像を際立たせています。
メンテナンス修理会社Cine Facilitiesのダニー・ヴァン・デヴェンターは、Arricam LTを応用した最軽量のセットアップを実現するスタジオフィルムカメラをレナート・ヒレッジが作る手助けをした。 Photo by Koen van der Knaap.
「この作品は、観客が2つの異なる要素をうまく調和させなければならないという独特な状況を作り出します。その2つの要素とは目に映る映像と耳から入ってくる情報で、どちらも型破りです」と、マックイーンは強調します。「そのせめぎ合いの中から、第三の何かが現れるのだと思います。それが具体的に何なのか、どう表現すればいいのか分かりませんが、それこそ私が追い求めていたものなのです」
マックイーンが第二の祖国として選び、妻と28年間暮らしてきた街。そこに今なおつきまとう過去への瞑想的とさえ言える考察によって、ドイツ占領下の1940年代と現代のアムステルダムが比較されています。ヒレッジはフロアー・オンラストを介してこの作品に参加しましたが、彼はマックイーンとスティグターの友人で、映画学校で知り合いました。マックイーンは、ヒレッジのモノクロ映画『Beyond Words』(2017)の仕事ぶりにも感銘を受けていました。ナチス占領下のアムステルダムを探索する当初の計画は、「従うべき厳格なルールはなく、かなり自由」なもので、ヒレッジはいまだに「最終的にドキュメンタリーになるのかアートになるのか、確信が持てない」と言います。
撮影チームは、あまり大々的にコンセプトを分析したり議論したりせずに探求心や発見を受け入れたいと考えていましたが、この作品には「記念碑的なスタイル」を取り入れたいということは分かっていました。「根底にあったのは、時間というコンセプトを軸に、それぞれの場所でささやかな事柄を見つけることでした。また、私たちはこの大仕事をやり遂げるために188日の撮影期間しかないことも分かっていたので、とにかく動き始めました。私とスティーヴは、アートやパトリック・キーラーの35mmフィルムドキュメンタリー/エッセイ映画『ロンドン』など、映像やその他の刺激になるものを見て、インスピレーションを得ました。
しかし撮影を開始してすぐに、外部環境が変化しパンデミックが発生すると、映画制作は異なる展開を見せました。戦後初めて夜間外出禁止令が出されたこの街では、ストーリーテリングに予想外の新たなレイヤーが付け加えられたのです。「全てに意外な展開がありました」とヒレッジは言います。「当初はもっと屋外でのロケが多かったのですが、自然と室内での撮影が増えてアプローチが変わっていきました。映像を通して新たなコミュニケーション方法を模索することになったのです」
撮影が始まると、クルーは小回りが利く少人数のチームで、自転車に乗って市内をあちこち回った。 Photo by Eloi Roobol.
ヒレッジが参加する前から、マックイーンはすでにこの映画を35mmフィルムで撮影することを決めており、このクリエイティブな選択が「早い段階で作品のトーンと価値を決定づけた」とヒレッジは考えています。マックイーンも35mmフィルムを使って撮影する決断がこのプロセスの鍵だったと認めています。「一瞬一瞬を大切にしたかった。無意味なものなどありません。フィルムを無駄にしたくない私にとって、それは非常に儀式的で慎重なプロセスなのです」
製作陣にとって4:3のアスペクト比は理にかなった選択に感じられ、ヒレッジはフレーム全体を露出させたいという希望を伝えていました。ヒレッジは「コダックフィルムがもたらす温かみのあるルック」を気に入っていたため、複数のコダックのカラーフィルムストックが使用されました。最も使用頻度が高かったのはコダック VISION3 50D 5203/7203と250D 5207/7207で、室内の撮影には500T 5219/7219を選択しました。
この街を後世に残すというアーカイブの責任を感じたヒレッジは、フィルムでの撮影には熟慮を要するプロセスが伴うと考えています。「ただボタンを押して待つだけでなく、私たちは街や周囲の環境を把握していなければなりませんでした。どこにカメラを置くか、何が起こるだろうかと慎重に考慮しました」
「フィルムを使った撮影は常に特別で、自分たちにとって意味のある媒体で瞬間を切り取っているように感じられました。また、そのおかげで全員が188日間の撮影に集中することができました。デジタルで撮影していたらそこまでの気配りは発揮できなかっただろうと思います。エディターも、私たちが撮影のボタンを押したことには理由があり、その映像から何かを見いださなければならないことを知っていたのです」
クルーが2,000ヶ所を超える場所を訪れ撮影した映像を編集して266分の映画作品『占領都市』を制作した。
フィルム現像は、ヒレッジが2006年に共に仕事をしたオランダのラボ、Haghefilm Digitalで行われました。同社の移転に伴い、ベルギーのColor by DeJongheと共同で現像を遂行しました。「我々はできる限りカメラに収めたかったので、現像工程で小細工はしたくありませんでした。その工程はコントロールされるのではなく、自然である必要があったのです。何か手を加えると、全体的な雰囲気が阻害されてしまいます」とヒレッジは言います。「スティーヴは明快なアプローチを追求する純粋で正直な監督なので、私たちは映像をコントロールしたり、ルックを作ったりする方法を話し合ったことは一度もありません。私たちは伝統的な映画制作で期待されるようなものより、むしろ写真的な品質を求めていました」
ドキュメンタリーの撮影では、できるだけ目立たないようにしているので、とりわけ親密な瞬間を撮る時には、静かなカメラが必要でした。「長期間撮影するにあたって、私は自分自身のカメラを買いたくなりました。その上、ネガ全体を露出するためにフルフレームで撮影したいという願望も加わり、カメラの選択肢はさらに狭まっていきました」
このユニークなドキュメンタリー・プロジェクトは、過去と現在のアムステルダムの姿を描いている。
ヒレッジがアムステルダムのメンテナンス修理会社Cine Facilitiesのダニー・ヴァン・デヴェンターに助言を求めたところ、彼は「重いが、静かなフィルムカメラのボディ」のArricam STカメラのボディを改造し、ヒレッジがより軽いArricam LTのマガジンを使えるようにすることを提案しました。
ヒレッジはこう述べています。「ダニーはフィルムカメラを維持する技術を理解しています。彼は全ての機材を本来の状態に保ち、ワークショップを開催しています。世界中の著名な撮影監督のカメラを修理するだけでなく、才能あるフォーカスプラーでもあります」
「彼は、最も軽量なセットアップを実現する、スタジオフィルムカメラを準備する手助けをしてくれました。可能な限りすべて取り除き、速度設定のない基本のカメラだけを残したのです。さらに軽量化を図るため、ハンドグリップ装置も変更されました。私たちは天候に左右されることなく、たとえ1日に12回カメラを移動しても、車の乗り降りをしても、自転車の上でも、階段でも、雨や雪や日差しの中でも、そしてグリップなしでも、何の問題もありませんでした」
ヒレッジは、「邪魔にならないシンプルなレンズ」を要望し、撮影時に「ごまかしのないクリアな」映像を捉えたいと考えていました。彼は作品の制作時に感じたアーカイブの責任を果たすために、18mmから135mmの9本のライカズミルックスのレンズを選びました。
アーカイブ映像や有識者のインタビューを組み入れるのではなく、第二次世界大戦中のショッキングな残虐行為をつぶさに伝えるメラニー・ハイアムズの静かなナレーションが、現代の映画的なドキュメンタリー映像を際立たせている。
ヒレッジは主に固定カメラを選択しましたが、ドラマチックな効果を狙う場合や、国王の日(ウィレム=アレクサンダー国王の誕生日を記念する祝日)などのイベント、そしてパンデミック中に初めて開催されたパーティーの一つを撮影した時の自由な雰囲気を捉える場合には、ステディカムを取り入れました。また、夜間外出禁止令が解除された時の解放感を表現するために選んだいくつかのショットでは、カメラを「街の中に浮遊」させたいという制作者たちの思いもありました。それを受けてヒレッジは「人々の通常の視点から離れ、街を広く見渡せるように」高い位置から撮影しました。
クルーを目立たせないために、キーグリップやドリーグリップを使うことはできませんでした。「知らず知らずのうちにロケ現場を汚し、目立ちすぎてしまうのです」とヒレッジは言います。「クルーがいち早く順応し、ボディランゲージを使って自分たちの存在感を消すのを見るのは興味深かったです。ファインダーを後ろに向けたカメラを広場の真ん中に置き、クルーがレンズの向いている方向とは違う方を見ることで人々に脅威を感じさせないようにしました。私たちはいわば、野生動物写真家のようになったのです」
カメラを配置する最適な場所を見つけるのは、どのロケ現場でも簡単ではなかったとヒレッジは認めます。「サイズを考えると、このモデルは当然の選択とは言えないかもしれません。特にポジションを維持する必要がある場合は大変です。しかし、私たちはカメラをどこに置くかについてほとんど直感に近い感覚を身に付け、1000フィートのロールではなく、常に4分以下のフィルムロールで撮影しました」
ヒレッジは主に自然光で撮影し、アムステルダム国立美術館といったより複雑な場所で撮影する際には、必要に応じて小型のCreamsourceパッケージなど最小限の照明器具を使用しました。「小型のLEDを常にバンに積んでいましたが、必要な時以外に常時設置しておけるような人手はありませんでした」と話すヒレッジは、それぞれの場所を「光の状況」として読み取り、「人工的な小細工で変更を施す」のではなく、しばしば別の時間帯に撮り直すことを好みました。ある場所が暗すぎる場合はマジックアワーに戻ってくることもありました。また、クルーは街と親密な関係を築いていたため、一日のうちどの時間帯に太陽が望んだ位置に来るのか心得ていました。
撮影監督のレナート・ヒレッジは、「人々の通常の視点から離れ、街を広く見渡せるように」時には高い位置から撮影した。 Photo by Oscar Laucke.
ファーストADのコーエン・ヴァン・デル・クナープと共にすべてのロケ地を自転車で回ったことは、ヒレッジに街と触れ合う大切さを教えてくれました。それを可能にしてくれたのが、自転車という移動手段です。撮影が始まると、クルーは小回りが利く少人数のチームで、自転車に乗って市内をあちこち回りました。録音技師は機材を入れるコンテナを取り付けた自転車で、セカンド助手は暗室を備えた撮影用の小型バンで移動しました。バンには機材と、ヒレッジが高い所から街の景色を撮影する必要がある場合に立つことができるテーブルも積み込まれていました。
映像面での収穫がほとんどなかったロケ地もある一方、国王の日などの儀式的な集まりの場所やイベントは豊富な素材をもたらしてくれ、クルーはそれらの営みを記録するために情報収集の手法を取り入れました。「私たちはF1カーのような非常に強固なマシンになりました。素早くセットアップして撮影し、自転車で次の場所に移動して、また同じことを繰り返す用意がなければなりません」とヒレッジは言います。「全ての場所が新しい物語を提供し、訪れた2025ヶ所の中には5回のセットアップを要する所もありました。ですから、少人数の親密なチーム全員に、途方もない量のエネルギーと集中力が求められました。全員にとって、とても特別な旅でした」
撮影チームは2週間ごとに映画館に集まり、2時間の試写を行いました。そうすることで、それぞれのロケ地で起きていることに自分たちが介入しすぎていないか、また別のアプローチが必要とされているかどうかを確認することができました。「私たちは常にお互いの仕事を見てフィードバックしていたので、私はエディターのクサンダー・ネイストンがどのように作業しているのか見ることができたし、彼もまた同様でした。このように視覚的な言語を発展させながら撮影できるのは非常にまれなことです。クサンダーは不要なものを取り除き、最高の瞬間を見つけ出すことで素晴らしい仕事をしてくれました」
レナート・ヒレッジが参加する前から、マックイーン監督はすでにこの映画を35mmフィルムで撮影することを決めており、このクリエイティブな選択が「早い段階で作品のトーンと価値を決定づけた」と考えている。
このような野心あふれる異例の作品を撮ることは、シネマトグラファーにとってかなり大きな責任でした。彼は時折、「ドアベルを鳴らしながら何度も同じ話を繰り返して、撮影監督というより訪問販売のセールスマンのような気分になりました」と、冗談も飛ばしています。このプロセス全体を通じて、製作陣がそれぞれの場所で見いだしたものが何であれ、それが文字通りの解釈にとどまることがないよう望んでいました。
「私たちが直面した最大の課題の一つは、戦争に関連する何らかの痕跡がいまだに残っている場所があったら、それを撮影せずにはいられないことでした。パンデミックの最中に撮影していると、外出禁止令の制限に抗議する人々など、第二次世界大戦との類似性を感じましたが、それをあからさまなやり方で撮影する意図は全くありませんでした。私たちは、視聴者に自分なりの解釈をして、過去と現在の対立とつながりを見つけてほしかったのです」
もし製作陣が状況を完全にコントロールできたなら、あからさまな関連性を示す「つまらない作品」になっていたでしょう。「それは間違っていて、下品で、安っぽいと感じました。この映画の本質は、視線を誘導しすぎることなく興味深い映像を撮ることであり、同時に監視カメラのようにならないことでした」と、ヒレッジは言います。「コントロールできなかったことで、この作品は私にとって撮影監督としての大きなリセットになりました。自由な環境で、私は恐れることなく率直になり、自分の直感を信じることを学びました。人生は美しく、たとえ人はどこにいても常に発見できる何かがあります。今回の映画作りはこの上なく純粋で、これほど誠実で偽りのない作品と親密な関係を築いたのは初めてでした」
『占領都市』
(2024年12月27日より全国公開中)
製作年: 2023年
製作国: イギリス/オランダ/アメリカ
原 題: Occupied City
配 給: トランスフォーマー/TBSテレビ
公式サイト: https://www.transformer.co.jp/m/senryotoshi/