
2025年 4月 17日 VOL.244
コダック 16mmフィルムの柔らかな色合いを生かして、撮影監督パット・スコーラが『シンシン/SING SING』に暖かみと誠実さをもたらす

『シンシン/SING SING』より、コールマン・ドミンゴ(左)とショーン・サン・ホセ Credit: Dominic Leon
グレッグ・クウェダー監督がクリント・ベントリーと共同で脚本を手がけた『シンシン/SING SING』は、ありきたりの刑務所を舞台としたドラマとは一線を画しています。撮影監督パット・スコーラがコダックの16mmフィルムで撮影したこの映画は、収監の実状や芸術の力が収監者たちを変えていく様について、これまでにない光景を提示しています。そして本作は、2025年の映画賞シーズンでの大躍進が期待されています。
この映画は、ニューヨーク州の6つの刑務所で実際に行われている「舞台演劇を通して収監者の更生を目指すプログラム(RTA)」を基にした物語を描いています。このプログラムは、演劇を通して収監者に重要な生活能力を身につけさせ、刑罰ではなく、人間の尊厳に基づいた司法制度へのアプローチを模範とする取り組みです。そうすることで収監者が出所後に家族や地域社会にうまく適応できるようにし、再犯を減らすことを目的としています。
本作は、世界でも悪名高き最重警備施設のひとつであるシンシン刑務所が舞台であり、無実の殺人罪で収監されたディヴァインGを中心にストーリーが展開されます。彼は、他の収監者たちと共にRTAの舞台演劇に取り組むことに癒しと生きる目的を見いだしています。そんな中、荒くれ男のディヴァイン・アイが、次の演劇作品に参加するためグループに加わります。

『シンシン/SING SING』の1シーン Courtesy of A24
兄弟のような絆で結ばれた彼らが収監された理由などは明かされず、作品自体も通常の刑務所生活を描いてはいません。むしろ、映像のほとんどが稽古場のシーンで構成され、RTA劇団員の内なる期待や恐怖心に焦点を当てています。彼らが稽古を重ね、次の演目の各場面の意味を話し合うなかで、最終的に演劇がどのように彼らの心理や感情の“救命いかだ”へと変わっていくのかを描いています。
ディヴァインG役のコールマン・ドミンゴ、RTAプログラムの運営をサポートするボランティア演出家ブレント・ビュエル役のポール・レイシー、そして収監者マイク・マイク役のショーン・サン・ホセといったごく少数の有名俳優を除いて、ディヴァイン・アイ役のクラレンス・マクリンはじめ、スクリーンに登場する人物のほとんどは実際にRTAに参加していた元収監者たちです。
製作費を200万ドル以下に抑えることができたのは、クウェダーとベントリーが8年間にわたってRTAのボランティア指導員として活動に関わり、リサーチを行った成果です。本作はブラック・ベアーが制作し、2023年のトロント映画祭でプレミア上映された際にA24に取り上げられ、世界中で批評家の称賛を浴びました。

『シンシン/SING SING』の撮影監督パット・スコーラ Photo by Phyllis Kwedar
「グレッグが初めて電話で話を持ちかけてきた時から、この作品に関わりたいと思っていました」とスコーラは言います。彼は2021年にVariety誌の「いま注目すべき10人の撮影監督」に選出され、マイケル・サルノスキ監督の『ピッグ』(2021)で、全米撮影監督協会(ASC)のスポットライト賞を受賞しています。
「グレッグとクリントが収監者にポジティブな影響を与えているRTAプログラムをテーマにした物語を執筆していると聞いた時、私はすぐその話に夢中になり、本当に特別なものになると思いました」
「脚本を読むよりかなり前の段階で、グレッグがRTAやクラレンス・マクリンをはじめとする出演者たちとオンラインサービスのZoomで会話している映像をたくさん見せてもらいました。彼らのリアルな実体験を知ったことで、自分がこれから足を踏み入れる先がどのような世界なのか、かなり明確になりました」

『シンシン/SING SING』の撮影監督パット・スコーラ Photo by Phyllis Kwedar
「そのあとに脚本を読んで、私は微妙に揺れ動くストーリーテリングが気に入りました。笑いと悲しみ、喜びと悲嘆、そして脆さと変容の間を浮遊するように展開していく物語は、最近の映画ではあまり見られません」
スコーラは、クウェダーの作品を印象付ける繊細な手法にも感銘を受けたと話します。
「よくある刑務所が舞台のドラマでは、カチャカチャと鳴る鍵の音、独房のドアがぶつかる音、またチカチカと点滅する蛍光灯の光などが使われますが、この作品では、演技を通して収監者や彼らの内なる感情がどう動くのかを追うことに美的価値を見いだしています。カメラの前で起こることに任せて映画作りを進めることで、予想外のものが生み出されるようにしたのです」

『シンシン/SING SING』のグレッグ・クウェダー監督(左)とコールマン・ドミンゴ Credit: Phyllis Kwedar
「グレッグは、私たち撮影クルーに演者の邪魔をしてほしくなかったんです。また、台本は一応ありましたが、この作品は部分的に即興で作られ、物語的ドキュメンタリーという一種のハイブリッドなものになると分かっていました。作品全体に通じるこの考え方が常に私の頭にのしかかっていたので、カメラの動きは大きく影響されましたね」
収監者の日常生活や一般的な刑務所がどのように運営されていたかを写した1970年代の写真集を除いて、この作品の参考になる視覚的な手がかりはなかったと話しながら、スコーラはこう付け加えます。「あの場所のように、一般的なメージとどこか違うと感じるものの中身を知りたければ、そういった資料から離れることが得策だと思います」
『シンシン/SING SING』の撮影は2022年7月の19日間、主に3カ所のロケ地に分けて行われました。ニューヨーク州北部にある閉鎖されたダウンステイト矯正施設とその近くにあるハドソン・スポーツ複合施設は、どちらも実際のシンシン刑務所のさまざまな外装や内装の描写に用いられ、さらにビーコン高校ではRTAの舞台公演の場面が撮影されました。

『シンシン/SING SING』の1シーン Courtesy of A24
「ダウンステイト矯正施設を下見したとき、印象的であると同時に重苦しく感じたことのひとつが、窓の数の多さとそこから差し込んでくる自然光でした」と、スコーラは振り返ります。
「矯正施設の壁や有刺鉄線の遠く向こう側に木々や森が見えるのです。私はそこに悲劇的な要素を感じ取りました。外の世界は見えるのに、実際にはそこへ行くことも触れることもできません。また、施設が明るく暖かで、蛍光灯の光に照らされた殺風景な場所ではなかったことにも非常に衝撃を受けました。そこで私たちは、その空間を自然光で照らし、私たちが伝えようとしている視覚的なストーリーを語ってもらうことにしました」
16mmフィルムでの撮影について、スコーラは次のように語っています。「フィルムで長編作品を撮影するのは本作が初めてでしたが、それほど心配はありませんでした。私は長編作品のフィルムローダーとしてキャリアをスタートさせ、そのあと定期的に撮影監督としてコマーシャルやミュージックビデオなどの短い作品をフィルムで撮影してきました。グレッグ、クリント、そしてプロデューサーのモニーク・ウォルトンも、16mmフィルムという選択を全面的に支持してくれましたし、最後までずっと素晴らしいクリエイティブ・パートナーでいてくれました」

『シンシン/SING SING』の主演コールマン・ドミンゴ Courtesy of A24
スコーラはこう付け加えます。「この作品が語っているのは誠実さと親密さであり、それを表現するにはフィルム、特に16mmフィルムの色や質感に勝るものはありませんでした。また、この作品は私たち撮影クルーが距離を取って、出演者に自由に演じてもらうという考えのもと、時に長回しのワンテイクや360度撮影が行われました。これができたのは、フィルム撮影であるがゆえに比較的少人数での撮影が可能だったためです。撮影クルーは私を含めてわずか9人でした」
スコーラは『シンシン/SING SING』の撮影に1:1.66のアスペクト比を採用しました。ARRIFLEX 416とSR3 16mmカメラにツァイスのウルトラ16レンズとキヤノンのズームレンズを装着し、16mmのコダック VISION3 250D カラーネガティブフィルム 7207を使用して作品の大部分を撮影しました。カメラとレンズのパッケージはパナビジョン・ニューヨーク社によって提供されました。
「この物語では、人物の顔が風景の様な役割を持っていて、しばしば非常に親密なクローズアップが入ります。1:1.66という横長のフレームのおかげで、そのような人物画を作り出すことができました。また制作中は25mmレンズを頻繁に使いました」とスコーラは説明します。

『シンシン/SING SING』の撮影監督パット・スコーラ Photo by Greg Kwedar
「ウルトラ16レンズは小型でシンプルかつ動作も速く、通常は絞りをT1.3に設定しておけば16mmフィルムにおいて素晴らしい光学性能を発揮します。また、1本約1キロと軽量なこともこのレンズを選んだ重要なポイントです。私は撮影の間中ずっとカメラを抱えていることになりますし、カットなしでマガジン1本分を回し続けることが多くなるだろうと分かっていたからです」
スコーラは『シンシン/SING SING』のほぼすべてのシーンを16mmのコダック VISION3 250D カラーネガティブフィルム 7207で撮影しました。唯一の例外は、登場人物全員が新しい演目の衣装を披露するドレスリハーサルの長回しのワンテイクで、暗く最低限の照明しか使えなかったため、16mmの500T 7219を使用しました。フィルムの現像はニューヨークのコダックフィルムラボで行われ、デイリーと2Kスキャンはメトロポリスポスト社によって提供されました。
「デジタルとは対照的に、フィルムでの撮影は照明にそれほど気を使わなくていいし、ずっと寛容だと思いました。私が250Dを選んだのは、昼と夜、屋内と屋外のシーンのルックに一貫性とまとまりを持たせたいと考えたからです。250Dは濃密な粒状構造に気を取られることなく、画像の中に独特の質感と粒状感を感じられるような、ちょうど中間のバランスを保っているのです。また、250Dの持つ自然な暖かみと豊かな色彩が、スクリーンに映るキャストの存在感と感情的な演技を支えてくれるとも感じていました」

『シンシン/SING SING』より、クラレンス・マクリン(左)とコールマン・ドミンゴ Credit: Dominic Leon
「テスト撮影には多くの時間を割けなかったので、基本的には過去の有益な体験をもとに250Dを選びました。250Dはラチチュードがかなり広く、画像の明るい部分や暗い部分でもディテールを保持できるため、現場で通常の露出で撮影し、ラボで通常どおりに現像すればよく、さまざまな肌の色調がどう混ざり合うのかを心配する必要もありませんでした。2Kスキャンは、16mmフィルムが持つ有機的な魅力を留めるのに役立ったと思います」
スコーラがカメラを操作し、エリック・メイシーとクリス・フェレッパがそれぞれファーストアシスタントカメラ、セカンドアシスタントカメラを務め、ダニエル・キャロルがフィルムローダーを務めました。キーグリップはジャスティン・デュケットが担い、デニス・ピレスが彼の補佐を担当しました。照明チームはガファーのジョエル・マリチが指揮し、アドリエンヌ・スビアが右腕として補佐しました。
「以上で全員という小さなチームでした」とスコーラは言います。「グレッグの望みは俳優たちが自由に演技することで、彼らの演技を映画的でありながらも物語の一部として感じられるように撮影するのが私の仕事でした。クレーンのような派手な撮影機材を揃える予算はありませんでしたし、たとえそのような機材があっても邪魔だったでしょう」

『シンシン/SING SING』の撮影風景 Credit: Dominic Leon
「私はショットリストに関してはかなり厳密になるのですが、グレッグは快く多くの時間を割いてくれ、私と一緒に台本を通して1行ずつ、ひと拍ずつ確認してくれました。リストの多くが作品に反映されていますが、撮影当日により良いアイデアが浮かんだ時は、リストを破棄することもありました」
「観客が登場人物のエネルギーや喜び、脆さといった感情を感じられるようにするため、作品の多くの場面を手持ちカメラで撮影しましたが、やみくもに動かしたわけではありません。それ以外のシーンでは、より安定した構図で、静的に、時にはカメラを固定して撮影し、映像にコントラストを出しています」
「劇団員たちの周りを360度パンするときは三脚を使ったり、時には“バット・ドリー”を使ったりしました。“バット・ドリー”は小さなゴム車輪が付いたスツールで、座ったまま足で自由に向きを変えることができます。この時は非常に簡素で最小限の機材を使い、私も演技に全力で集中しながら撮影しなければならない状況だったのですが、このスツールがとても役に立ちました」

『シンシン/SING SING』より、クラレンス・マクリン Credit: Dominic Leon
低予算での作品だったので、照明も同様に最小限の機材が使われました。
「準備した照明機材はとても簡素なもので、ダウンステイト矯正施設とハドソン・スポーツ複合施設での撮影には窓から差し込む自然光を取り入れました。自然な見た目を維持するために、通常使用したのはCreamsource社の Vortex LEDを数個とアステラ社のタイタンチューブだけです。また、窓を主な光源としながらLite Gear社の4x8 Lite Tile boxも使用して明るさを補い、外の天気が変わっても露出のバランスを取ることで窓の露出を維持できるようにしました」
しかしスコーラは、その自然主義的な照明のコントラストとして、作品中のより繊細な場面や演劇のシーンには暖かみや豊かな色彩を取り入れるようにしました。

『シンシン/SING SING』の1シーン Courtesy of A24
彼はこう説明します。「ディヴァインGとマイク・マイクが独房の壁を隔てて会話する夜の場面では、当時の刑務所にあったであろうオレンジ色のナトリウムランプを設置しました。これにより、映像に暖かみが生まれ、2人の間の友情や仲間意識を表現することができました」
「ビーコン高校で撮影した舞台公演の場面では、少し冒険的に照明で表現することができました。学校の演劇部と連絡を取り合い、学校に元々あるずらりと並んだタングステン・パーライトやフォロースポットライトに加えて、私たちのランプを舞台照明用フレームに設置しました。さらに、調光操作卓や照明器具の扱いに精通した生徒を雇うことも、学校に許可してもらえたのです」
「その場面では、低照度と高照度の変化があったため500T 7219で撮影したのですが、とても満足のいく仕上がりになりました」

『シンシン/SING SING』より、(左から)デヴィッド・“ダップ”・ジローディ、ショーン・サン・ホセ、
コールマン・ドミンゴ Credit: Courtesy of A24
時間と努力を積み重ねた撮影を振り返りながら、スコーラはこう語ります。「この映画の撮影には大きな責任を感じました。登場人物のほとんどは、撮影用カメラを見たこともなければ、映画を撮影したことなどもありませんでした。私は、彼らの気持ちを高め、称えることを常に念頭に置きました。ストーリーテリングのために彼らを利用することはしたくはなかったのです」
「結局のところ、16mmフィルムは私が理屈抜きに気に入ってしまったツールであり、フォーマットであり、芸術的なメディアで、この特別な作品に確かな暖かさと誠実さをもたらしてくれました。芸術を生み出そうとするプロセスを通して、私たちは自分自身やお互いをより深く理解しようと努力できるのです。私は何よりも、この映画を見た人たちがRTAの参加者だけにとどまらず、見たことも聞いたこともない多様な収監者に対するイメージをがらりと変えてくれることを強く願っています」
『シンシン/SING SING』
(4月11日より全国順次公開中)
製作年: 2023年
製作国: アメリカ
原 題: Sing Sing
配 給: ギャガ
公式サイト: https://gaga.ne.jp/singsing/