
2026年 3月 6日 VOL.255
撮影監督キャスパー・トゥクセンがコダックフィルムの豊かな表現力を駆使し、『センチメンタル・バリュー』で人と人との純粋なつながりを描き出す

ヨアキム・トリアー監督作『センチメンタル・バリュー』より、ノラ役のレナーテ・レインスヴェとアグネス役のインガ・イブスドッテル・リッレオース Photo courtesy of Kasper Tuxen DFF.
デンマーク人撮影監督キャスパー・トゥクセン(DFF)が、コダックの35mmと一部16mmフィルムで撮影したヨアキム・トリアー監督による高い評価を受けた受賞作『センチメンタル・バリュー』は、過去の思い出が織り込まれた、人と人とのつながりをテーマとした現代の悲喜劇です。
物語は現代のオスロを舞台に、家族の痛切な回想シーンを織り交ぜながら進みます。ノーラとアグネスのボルグ姉妹は、疎遠になっていた父グスタヴと対峙せざるを得なくなります。かつては有名だったものの今ではほとんど忘れ去られた映画監督である父が、実家で行われた母の葬儀に突然現れたのです。
まだ幼かった娘たちを捨て、その後もほとんど連絡を取り合ってこなかったにもかかわらず、グスタヴは、舞台恐怖症と闘いながらも俳優として活躍中のノーラに、自身のカムバック作として望みをかけた映画の主演を引き受けてほしいと持ちかけます。さらに、ノーラとアグネスが育った思い出深い家でその映画を撮影したいと告げました。ノーラがきっぱり断ると、グスタヴは映画製作に必要な資金を持つハリウッドスターのレイチェル・ケンプを主役に据えます。こうして姉妹は、過去と現在が入り混じる複雑な心の傷と向き合うことになるのです。
ノルウェー、フランス、ドイツ、デンマーク、そしてスウェーデンによる欧州共同製作の本作は、トリアーとエスキル・フォクトが共同で脚本を書きました。そしてレナーテ・レインスヴェとインガ・イブスドッテル・リッレオースがノーラとアグネスの姉妹を、ステラン・スカルスガルドが父親のグスタヴを演じ、エル・ファニングがレイチェル・ケンプ役に起用されました。
本作は2025年の第78回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。壊れた家族関係や確執、そして和解をほろ苦く多層的に描いた作品として高く評価されました。さらに、2026年の第98回アカデミー賞では、国際長編映画賞のノルウェー代表作品にも選出されています。
『センチメンタル・バリュー』は、トゥクセンとトリアーがタッグを組んだ2本目の作品で、数々の賞を受賞した前作の『わたしは最悪。』(2021年)も同じく35mmコダックフィルムで撮影されました。
「ヨアキムが『センチメンタル・バリュー』について初めて話してくれたのは、2022年の夏のことでした。世代を超えて受け継がれる歴史を背景にした、現代の家族の物語だという大まかな構想を聞かせてくれたのです」とトゥクセンは語ります。「偶然にも、私はちょうど個人的なプロジェクトの撮影を始めていました。私が育った家と両親の人生をアナログフィルムに収めるドキュメンタリーを撮影しようとしていたのです。ですから、ヨアキムの構想には強く惹かれ、最初から意気投合しましたね」

ヨアキム・トリアー監督作『センチメンタル・バリュー』の撮影現場で、露出を測る撮影監督キャスパー・トゥクセン Photo by Christian Belgaux.
「世代を超えた家族の物語であれば、撮影技法の観点から、俳優の人物描写だけでなく家の間取りも極めて重要になってきます。物語で描かれる季節や年代が移り変わっても、観客が家の廊下や部屋を認識できるようにするためです」
トゥクセンによると、本作の準備期間はおよそ8ヶ月に及びました。その間に彼は『わたしは最悪。』の撮影前にオスロで購入していた自転車を再び持ち出し、家族が暮らした家を含むロケ地を巡りながら、自然光がどのように移り変わるのかを観察して回ったといいます。
「以前オスロで過ごした経験から、光の一貫性を保つのは難しいだろうと覚悟していました。作品の多くのシーンをオスロで撮影する予定だったので、特に夏の時期の日中における太陽光の変化を改めて把握し、複数の窓から室内に差し込む自然光をどうコントロールすべきか知っておくことが極めて重要だったのです」
この期間、トゥクセンは、“これから取り組む作品や俳優たちの演技と調和する感情的な空間に入り込むため“に、ミケランジェロ・アントニオーニやアンドレイ・タルコフスキーといった著名な映画監督たちの作品を数多く観たと語っています。
より具体的な参考作品を明かしながらトゥクセンはこう話します。「ヨアキムと私は、カメラの動きや時間の経過の描い方という点では『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(1993年、監督:マーティン・スコセッシ、撮影監督:ミヒャエル・バルハウス (ASC))を、そして神経症に苦しむ女優の姿の描写という点では『オープニング・ナイト』(1977年、監督:ジョン・カサヴェテス、撮影監督:アル・ルーバン)を参考にしました。 また、ウディ・アレン監督の作品の中でも特にゴードン・ウィリス撮影監督(ASC)が手掛けた作品からも、さまざまなシーンにおける雰囲気のインスピレーションを得ました」
『センチメンタル・バリュー』の主要な撮影は 2024 年 8 月に開始され、63 日間を費やし 11 月に終了しました。オスロの市街地や家族の家での撮影に加え、グスタヴがレイチェル・ケンプと出会うシーンは、ドーヴィル・アメリカ映画祭の期間中にフランスのドーヴィルで撮影を行いました。さらにノーラのアパートメントの室内シーンはスウェーデンで 1 週間かけて撮影しました。映画で描かれるさまざまな場面や年代に合わせて家族の家を調整する手間を軽減するため、オスロから車で1時間の場所にあるドラメンのGateway Studiosに完全なレプリカが建てられ、シーンに合わせた背景が映し出されたLEDウォールが使用されました。
『わたしは最悪。』のビジュアルスタイルを踏襲したかったトゥクセンは、アスペクト比、カメラ、レンズ、フィルムストックの組み合わせを同一にしつつ、カギとなる要素をいくつか加えました。撮影機材一式はオスロのStoryline Studiosにより提供され、最終グレーディングも同スタジオにてフリーランスのカラリスト、ユリアン・アラリーが担当しました。

キャスパー・トゥクセン(右)とヨアキム・トリアー監督(中央)が、映画『センチメンタル・バリュー』でインガ・イブスドッテル・リッレオースの撮影を行う様子 Photo by Christian Belgaux.
「ヨアキムの作品は全て1:1.85のアスペクト比で撮影されています。人物描写に最適で、必要に応じてポストプロダクションで構図を再調整できる利点があるんです」とトゥクセンは説明します。「機材は前回と同じARRICAM LT 35mmカメラを選びました。ヨアキムも私もそれが35mmフィルム撮影に最適だと確信しているからです。そして現代のパートには今回もCooke 5/iレンズを採用しました。とりわけクローズアップ撮影においては、魅力的な柔らかさを持った描写が得られるからです」
一方で、視覚的ストーリーテリングに変化をつけるため、グスタヴがかつて撮影した映画の抜粋シーンにはヴィンテージのCooke Varotalズームレンズを使用し、ラボでネガにブリーチバイパス処理を施しました。また、過去へフラッシュバックするシーンの一部にはスーパーバルターレンズを使いました。描写にさらなる違いを持たせるため、1920~30年代を舞台にしたフラッシュバックでは、16mmカメラのARRIFLEX 416に古い16mm 用T1.8 16-40mmズームレンズを装着して撮影しました」
フィルムストックについてトゥクセンは、日中の屋外シーンや明るい昼間のシーンの大半にコダック VISION3 250D カラーネガティブフィルム 5207を使い、低照度のシーンや夜間の室内及び屋外では500T 5219を使用しました。また、オスロでの明るい夏の屋外シーンは50D 5203で撮影しました。さりげなく色彩を際立たせる増感処理を頻繁に行ったフィルム現像とその後の2Kスキャンは、ロンドンのシネラボで行われました。
「ヨアキムがフィルムを愛している以上、アナログ撮影は当然の選択でした。そもそも契約にも明記されていましたからね」とトゥクセンは語ります。トゥクセンは、ジョージ・ハリスンがストラトキャスター・ギターに施していたことで知られるサイケデリックなデザインを自分のカメラにペイントし、キャストやクルーにとってカメラそのものが特別な存在になるよう演出しました。
「本作では顔や人物のポートレート的な描写が重要な要素となっています。ヨアキムも私も、肌の質感を表現する上でフィルムに勝るものはないと確信しています。レナーテは、頬がほんのり赤らんだり、目が潤んだりする様子がとりわけ魅力的ですが、250Dと500Tはそうした繊細な変化を見事に捉えてくれました」
フィルムのもうひとつの優れた特性はハイライトの飛び方がとても美しいことです。デジタルではハイキーでの撮影手法はほとんど廃れてしまいました。画像が崩れ、輪郭が失われてしまうからです。これに対して、フィルムが映し出すブルーム効果に私たちは魅了されました。テスト撮影の期間中、2Kと4Kスキャンを比較してみたのですが、特にクローズアップや肌の描写において2Kのわずかに柔らかな質感の方が、大スクリーンでは最もよく映えると判断しました」
トゥクセンは、Gateway StudiosでLEDウォールを背景として使用した家の室内シーンの撮影について、多少の不安を感じていたと明かしています。
これは費用のかかる技術ですし、フリッカーのような技術的な問題の解消や、LEDパネルとセット照明との色彩調整も必要になります。1920年代、40年代、60年代、80年代と、それぞれの時代に合わせた背景を用意し、季節や時間帯に応じた照明を当てました。ところが実際にやってみると、アナログフィルムとLEDスクリーンの相性は極めていいことが分かりました。フィルムの粒子がピクセルを目立たなくしてくれたことで、見事な仕上がりになったのです。したがって最後のシーンを除き、すべてのシーンをスタジオのセットでLEDスクリーンを用いて撮影しました。最後のシーンだけは、LEDウォールを従来のブルースクリーンに置き換えました」

サイケデリックな特別デザインが施された35mmフィルムカメラの前に立つ撮影監督キャスパー・トゥクセンと、Bカメラのオペレーター、ポール・ウルヴィック・ロクセット(後方2階)。ヨアキム・トリアー監督作『センチメンタル・バリュー』の撮影現場にて Photo by Mats Høiby.
『センチメンタル・バリュー』の撮影は主にシングルカメラで行われ、トゥクセン自身がカメラオペレーターを務めました。スカンジナビアでの撮影期間中は、ウーラ・オースタッドとロビン・グレーディング・オッテルセンがそれぞれファーストアシスタントカメラ、セカンドアシスタントカメラとしてサポートしました。Bカメラのオペレーターはポール・ウルヴィック・ロクセットとエイリク・ホルスト・アーガルドが担当し、アンダース・ホルク・ピーターセンがステディカムを担当。そしてマッツ・ホイビーがカチンコ兼ローダーを務めました。グリップチームはクリスチャン・シャイベが統括し、レヴィ・ガウロック・トロイテが照明技師を務め、リサ・エミリー・オーヴェルヨルデットが照明助手を務めました。
フランスのドーヴィルでの撮影では、ファースト、セカンドアシスタントカメラをヴィンセント・トゥーベルとアドリアン・レヴィ=シャルルが担当。ロイク・アンドリューがステディカムを操作し、ヴィンセント・ル・ボルニュが照明技師、そしてルーカス・シュワルツが照明助手を務めました。
「撮影クルーは全員、段取りが非常によく、一人ひとりが自分の仕事に誇りを持っていました」とトゥクセンは振り返ります。「同じロケ地で2日以上続けて撮影することは稀でしたが、状況に合わせて次々と撮影セットアップを変え、作業を円滑に進めてくれたのです」
「現代シーンの撮影では特に手持ちカメラを多用しましたが、感情的な場面が中心なので、慌ただしく激しい動きにすることは一切ありませんでした。私は“バット・ドリー”という、車輪付きのスツールに惚れ込みました。これに座れば旋回や横移動、前後への滑らかな移動が可能になり、カメラの動きから粗さを抑えることができたのです」

レナーテ・レインスヴェ(ノラ)とステラン・スカルスガルド(グスタフ)、ヨアキム・トリアー監督作『センチメンタル・バリュー』より Photo courtesy of Christian Belgaux.
「手持ちカメラでの撮影中、私は常に俳優に意識を集中させ、彼らの演技に応じてフレーミングの微調整を行います。わずかに角度を変えた位置から表情を捉えたり、さりげなくカメラを前へ寄せたりします。そうして演技に感情的に寄り添いながら撮影することが、私にとっての喜びなのです」
映画の終盤に登場する長回しのワンショットでは、トゥクセンは従来のピーウィードリーに乗ってカメラを操作し、キーグリップのクリスチャン・シャイベがドリー操作を担当しました。「あのラストショットでのクリスチャンはまさに達人でした。レナーテの動きとシンクロするようにカメラを室内で移動させながら、ドアの開閉を含む非常に複雑な動きの振り付けを完璧にやってのけたのです。まさに古典的な映画撮影の極みでした」
夜間の屋外撮影における照明は、撮影監督にとって常に難題となります。夕暮れから夜、そして明け方にかけて展開するグスタヴとレイチェルのシーンのために、トゥクセンはドーヴィルのビーチの広い範囲を照らし出すという課題に直面しました。
「これまで撮影した中で最も広い範囲でした」とトゥクセンは語ります。「リアリティを保ちながら、あれほどのスケールを自然に見せるのは簡単ではありません。そこに映画的な魅力やノスタルジーを吹き込もうとすうと、難易度はさらに上がります」

ステラン・スカルスガルド(グスタフ)とエル・ファニング(レイチェル)、ドーヴィルのビーチにて。ヨアキム・トリアー監督作『センチメンタル・バリュー』より Photo courtesy of Kasper Tuxen DFF.
「このシーンを典型的なハリウッド風の月明かりではなく、映画祭の最中に起こった出来事のような臨場感を出したかったのです。そこで、遊歩道沿いにある既存の照明を強化することにしました。ASTERA AX10 LEDスポットライトを仕込み、狭角で精密なビームを複数配置して光だまりや広がる光を作る昔ながらの照明技法を採用しました」
「500Tフィルムでの撮影に必要な露出を十分に確保するため、遊歩道沿いに約40台のAstera AX10を設置し、既存の街路灯に馴染むように調光しました。さらに、カメラの外側からCreamsoure VortexとNanlux Evoke 2400Bといった灯具で砂浜に光を当て、街の方向から光が差し込んでいるような効果を作り出しました。狙ったルックにたどり着くまでにはかなり苦労し、セットアップも大掛かりなものになりましたが、ヨアキムも私も仕上がりにはとても満足しています」
『センチメンタル・バリュー』の撮影を振り返りながら、トゥクセンはこう締めくくります。「フィルムは魂と科学を結びつけます。今回再びアナログ撮影を行い、作品の随所で多彩な個性あるルックを生み出せたことは本当に素晴らしい経験となりました」
「ヨアキムと再会できたこともとても嬉しかったです。彼は生来とても優しく思いやりのある人で、人間が大好きな人なんです。本作の撮影期間は私のキャリアの中で最も長いものでしたが、家族が恋しくなって落ち込むような時には、彼は時間を割いて私のそばに座り、ただ友人として一緒にいてくれる人でした。そういった純粋な人と人とのつながりが、この作品にも表れていると思います」
『センチメンタル・バリュー』
(2月20日より公開)
製作年: 2025年
製作国: ノルウェー/ドイツ/デンマーク/フランス/スウェーデン/イギリス
原 題: Affeksjonsverdi
配 給: ギャガ
公式サイト: https://gaga.ne.jp/sentvalue_NOROSHI/